『紫式部日記』は、言ふまでもなく『源氏物語』の作者である紫式部の日記である。前半及び末尾は、行事などを詳述した記録的部分であり、その間に「消息文」と呼ばれる随想的部分が挟まれてゐる。記録的部分は、1008年(寛弘5年)秋から1010年(寛弘7年)正月までと、時期不明の部分とがある。また、記録的部分を読むと、主人である彰子と道長を讃美する意図が顕著だが、自己を内省して憂ひに沈む筆者の心も垣間見える。かうした日記の形態・内容から、日記の成立事情についてさまざまな推測がなされてゐる。
小生は、注釈書を変へて2度読んだ。
最初は、随分前に新潮社の日本古典集成『紫式部日記 紫式部集』(山本利達 校注)で読んだ。底本は、宮内庁書陵部蔵の通称黒川本。頭注形式で、本文の傍らにセピア色で一部現代語訳を付す。注は、丁寧である。日記の後に「紫式部集」(紫式部晩年の自撰・131首)の注釈を置く。巻末に解説と付録として「実践女子大学本 むらさき式部集」・『栄花物語』(日記に無い日記歌五首の背景となつた記事)・図版等を付す。

さらに角川ソフィア文庫『紫式部日記 現代語訳付き』(山本淳子 訳注)で読んだ。底本は、黒川本。脚注形式で、69の節に分けて標題を付した本文を掲げ、その後に校訂表・補注・現代語訳・解説を載せ、巻末に主要登場人物紹介・系図・略年表を付す。注は、詳細である。現代語訳は、原文を尊重してゐるが、現代文としてわかりやすくするために、語順を入れ替へたり語句を補つたりした箇所もある。

『紫式部日記』の主な注釈書には、他に岩波書店の日本古典文學大系『枕草子 紫式部日記』・岩波文庫『紫式部日記』・新日本古典文学大系『土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』・角川書店の『紫式部日記全注釈』・小学館の新編日本古典文学全集『和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記』・新典社校注叢書『校注 紫式部日記』・講談社学術文庫『新版 紫式部日記全訳注』・笠間文庫『原文・現代語訳シリーズ 紫式部日記』・和泉書院の和泉古典叢書『紫式部日記』などがある。
岩波書店の日本古典文學大系『枕草子 紫式部日記』(『紫式部日記』の校注担当は、池田亀鑑・秋山虔)は、邦高親王本系を底本とする注釈の代表的なものだが、その後、新出の黒川本を、諸注釈書が最善本として底本に採用するやうになつた。岩波文庫『紫式部日記』(池田亀鑑・秋山虔 校注)は、古典文學大系版を踏まへたもの。

角川書店の『紫式部日記全注釈』(萩谷朴 訳注)は、黒川本を底本とし、本文を80節に分け、その節ごとに本文を掲げ、その後に校異・逸文・口訳・語釈・解説を載せる。語釈・解説は詳細で、新説の提示も多い。(いくつかは定説化した。)上下2冊で、下巻末に、作者・作品についての解説、附篇として年表・和歌や引用詞句の索引・語釈欄項目索引を付す。
新典社校注叢書『校注 紫式部日記』(萩谷朴)は、『紫式部日記全注釈』の成果を踏まへてゐるが、現代語訳は無く、注も一般的な注解は省略して簡素なものになつてゐる。

岩波書店の新日本古典文学大系『『土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(『紫式部日記』の校注担当は伊藤博)は、脚注形式で、注は丁寧である。解説と「紫式部集」(自選)を付す。

小学館の新編日本古典文学全集『和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記』(紫式部日記の校注担当は中野幸一)は、(旧)日本古典文学全集版・完訳日本の古典版を改訂し、注・現代語訳を一新してゐる。((旧)日本古典文学全集版以降の注釈書は、ほとんどが黒川本を底本とするやうになる。)頭注・本文・現代語訳の三段組形式。内容に従つて段落に分け小見出しと通し番号を付してゐる。注は丁寧で、現代語訳は解りやすくするために言葉を補ふ傾向がやや強い。巻末に「紫式部日記絵巻」の縮小写真(白黒)とその詞書の翻刻と簡単な画面の解説を載せてゐる。

講談社学術文庫『新版 紫式部日記全訳注』(宮崎莊平 訳注)は(新版といつても上下2巻本だつたものを1冊にまとめたもので中身はほとんど変はつてゐない)、本文を60の章節に分けて見出しを付け、章節ごとに、本文を掲げ、現代語訳・語釈・解説を載せ、巻末に作品解説・略年譜を付す。ちなみに現行の注釈書が最善本として底本に採用してゐる宮内庁書陵部蔵黒川本を発見したのは、宮崎である。

笠間文庫『原文&現代語訳シリーズ 紫式部日記』(小谷野純一 訳注)は、本文を63の章節に分けて小見出しを付け、見開きで、本文を右ページ、現代語訳を左ページに掲示し、両ページに渡り、脚注を施してゐる。注は丁寧で、現代語訳はほぼ本文に対応したものになつてゐる。(ちなみに文庫といつても文庫サイズではない。)

和泉書院の和泉古典叢書『紫式部日記』(笹川博司 校注)は、未見。
今、『紫式部日記』を原文で読むのなら、携帯しやすく一般的な注釈書としては比較的新しい講談社学術文庫『新版 紫式部日記全訳注』(宮崎莊平 訳注)か角川ソフィア文庫『紫式部日記 現代語訳付き』(山本淳子 訳注)がよいと思ふ。学術文庫版は、各章節の後に、現代語訳・語釈に加へて解説があり、理解しやすい。ソフィア文庫版は、補注を併せた注が詳細である。
教科書には、中宮彰子が出産のために滞在してゐる秋の土御門殿(道長の邸)の様子を描いた冒頭部分、「日本紀の御局」といふ渾名を付けられたことについての話、和泉式部・赤染衛門・清少納言についての批評、などがよく載つてゐる。小生は、教材研究に際しては、最初は、小学館の日本文学全集(新編が出てからは新編)『和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記』(紫式部日記の校注担当は中野幸一)・新潮社の日本古典集成『紫式部日記 紫式部集』(山本利達 校注)を基本にし、できるだけ角川書店の『紫式部日記全注釈』(萩谷朴 訳注)を参照した。岩波書店の新日本古典文学大系『『土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(『紫式部日記』の校注担当は伊藤博)・角川ソフィア文庫『紫式部日記 現代語訳付き』(山本淳子 訳注)が出てからは、それも見るやうにした。
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