アニー・エルノー『シンプルな情熱』

積ん読解消 読書日記

2026.01.28

 アニー・エルノー(Annie Ernaux) 堀茂樹〔訳〕『シンプルな情熱(PASSION SIMPLE)』(ハヤカワepi文庫)読了。
 作者のアニー・エルノーは、1940年生まれのフランスの作家。その作品は、ほとんどが自伝的で、オートフィクションの作家とされる。2020年ノーベル文学賞受賞。(受賞理由は「個人的な記憶の根源と疎外、および集団的抑圧を暴いた勇気と分析的鋭敏さに対して」。)
 「オートフィクション」とは、〝作者と同名の(または明らかに作者と重なる経歴や特徴をもつ)語り手が登場するが、ノンフィクションではなくあくまでフィクションとして提示される小説〟(白水社HPに拠る)とのことで、20世紀になつて現れた新語ださうだが、古来さういふ作品は少なくない。日本のいはゆる〝私小説〟の中のある種のものもさうだらう。(金原ひとみには『オートフィクション』といふ題名の小説がある。)
 『シンプルな情熱』は、冒頭近くの「昨年の9月以降、私は、ある男性を待つこと――彼が電話をかけてくるのを、そして家へ訪ねてくるのを待つこと以外、何ひとつしなくなった。」といふ表現に表されるように、離婚をして一人暮らしをしてゐる女性教師が、妻子ある東欧の外交官との逢瀬を待ち焦がれる、激しく〝シンプルな情熱〟を描いてゐる。その赤裸々な語りから賛否両論の的となつたが、フランスでベストセラーになり、ヨーロッパ諸国・米国・日本で翻訳が刊行された。翻訳では、「passion」といふ語に、文脈によつて「情熱」以外に「恋」「恋情」などの語が当てられてもゐるが、一般に〝恋〟がイメージするものよりも遥かに肉体的な〝情熱〟である。主人公は、「これまでの人生で、…昼下がりにこの人とベッドにいること以上に重要なことは何ひとつ体験しなかった」と語つてゐる。しかし、彼が去ると、彼女は、途方もない疲労感に襲はれて、身動きできなくなる。彼との行為の証——グラス・食べ残しが載つたままの皿・吸い殻で一杯の灰皿・衣類・廊下にも寝室にも散らばつてゐるランジェリー・ベッドからカーペットの上に垂れ下がつてゐるシーツ——をただ眺めてゐる。そして、翌日までビデで洗ふこともせず彼の精液を保つてゐる。彼がフランスを発つて母国に帰つてからの彼女の恋情や出来事については、自身で読まれたし。小説の表現は冷静で分析的だが、ここで語られる〝情熱〟は、やはり〝恋〟に違ひない。

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