司馬遷『史記 三 上(十表 一)』(新釈漢文大系)

積ん読解消 読書日記

2025.05.31

 司馬遷『史記 三 上(十表 一)』(寺門日出男 訳注)(明治書院・新釈漢文大系)読了。「三代世表第一」から「漢興以來諸侯王年表第五」まで。(五帝(黄帝・顓頊・帝嚳・堯・舜)から漢の武帝の太初四年まで。)新釈漢文大系版で15冊中6冊目。
 歴史書としての『史記』の発明(画期的な工夫)は、一つが「紀伝体」の採用であり、もう一つが「表」(年表)の作成である。
 『春秋』など『史記』以前の史書は、「編年体」で書かれてゐた。(始皇帝の焚書坑儒で失はれたものも多いけれど…。)しかし、『史記』が「紀伝体」を採用し、それ以後の中国正史はすべて紀伝体で書かれてゐる。(「本紀」は、帝王の記録であり、編年体の歴史だが…。)司馬遷が「紀伝体」を発明したのは、彼の天才もあるが、時代の要請もあるだらう。内藤湖南は、『支那史学史1』(平凡社・東洋文庫「史記—史書の出現」の中で次のやうに語つてゐる。

元来古い時代には、世禄世官であつて、一個人の才力によつて特別の働きをすることは殆どなく、単に世族の家に生れたといふことで仕事をなし得たのである。ところが春秋戦国以後は、単に一個人の才力で功名を立てるものが現はれた。その点を注意したのであつて、七十列伝はその為めに出来たのである。

 弱肉強食の戦国時代に、家柄だけが取り柄の無能な者が国政を担つてゐたのでは、国は滅びてしまふ。下克上が起こるのは当然である。諸子百家が現れるのも、諸侯が富国強兵のための政策を模索したからだらう。(現在の日本の政治家は世襲議員だらけであり(特に自民党では衆議院議員の3割弱が世襲)、これでは混迷する世界情勢を乗り切るのは困難だらう。)
 ただ、世家や列伝は、諸侯や英雄の伝記であり、それだけでは家の歴史であり時代の一齣である。そこに「表」(年表)が重なることで、緯糸と経糸が絡み合ひ、歴史といふ織物を織り上げることになる。(「表」によつて編年体の「本紀」に「世家」や「列伝」が結び付く。)
 小生は、『史記』を読むに当たり、巻数順ではなく、「本紀」「世家」を並行して読み、その時代の「表」を併せて読むやうにしてゐる。…といつても、浅学菲才な小生は、「表」を読んでも記載されてゐる人名や地名の具体的なイメージが思ひ浮かばないことが多く(時々は「本紀」「世家」「列伝」の既読の記事が思ひ当たることもあるが)、あまり「表」のすばらしさを実感できてゐないけれど…。ただ、各表には冒頭に序文が付されてをり、その表の時代の概略を纏めてゐるので、小生のやうな初心者には重宝する。

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