大鳥居から羽田空港へ 「穴守稲荷神社」「羽田イノベーションシティ」

街角の本屋までの旅

2025.10.08

 京浜急行空港線「大鳥居駅」から「穴守稲荷神社」「羽田イノベーションシティ」を経て「羽田空港」を目指す。
 今は「大鳥居駅」を出ても大鳥居は見当たらないが、開業当時は駅前に「穴守稲荷神社」大鳥居があつたのだといふ。

 「大鳥居駅」の西口を出て、南に行くと「萩中公園」がある。「萩中公園」には、野球場やプールもあるが、ユニークなのは園内の「ガラクタ公園」で、蒸気機関車・都電・トラック・ボートなどの乗物(かつて使用されてゐた実物)が置かれてゐて、自由に乗ることができる。(宇宙船もあるが、これはコンクリート製の遊具。)その南には、交通公園がある。

 交通公園の中には、牧場を模したやうな場所があり、牛や馬や豚の像が置かれてゐる。

 「萩中公園」を東に行くと大通り(都道6号 東京大師横浜線)に出るので、それを南に進むと多摩川に架かる「大師橋」がある。その袂に真言宗の寺院「自性院」がある。
 今日は、颱風22号が八丈島の南に接近してをり、空は曇つてゐる。

 その隣には、「羽田神社」がある。(社殿の背後に見えるのは、都立「つばさ総合高校」。)祭神は、須佐之男命(すさのをのみこと)と稲田姫命(いなだひめのみこと)。境内には、「鈴納稲荷神社」などいくつもの末社があり、富士山に憧れた当時の人々により明治元年に造られた「羽田富士塚」(大田区文化財)もある。

 都道6号を戻り、角に「ガスト」のある交叉点を東に曲がると弁天橋通り(「羽田空港」に向かふバス通り)になる。東に進むと、途中に「大田区地域包括支援センター羽田」などがある。

 首都高の高架下を潜り、さらに進むと左手に「穴守稲荷駅」に向かふ路地があるので、そこを入る。「穴守稲荷駅」前商店街「穴守ふれあい通り」である。左手にすぐに「大衆うなぎ 西尾の鰻」がある。うな重が1580円からと(1番廉いのは1尾ではないにしろ)、今時かなり手頃な値段である。

 古い店構への(看板は新しいが)大衆居酒屋「エビス 穴守稲荷 総本店」などもある。

 下の写真は、駅前から「穴守ふれあい通り」を眺めたところ。

 「穴守稲荷駅」の入口にも赤い鳥居がある。

 駅前の踏切を越えて2本目の路地を右に曲がると、先の方に「穴守稲荷神社」赤い鳥居が見える。

 参道を進むと、左手に「穴守稲荷神社」拝殿がある。祭神は、豊受姫命(とようけひめのみこと)。五穀豊穣・大漁満足・商売繁昌の他、場所柄や歴史的背景から旅行安全・航空安全など幅広い御利益があるとされるさうだ。
 「穴守稲荷神社」のHPには、起源について次のやうに記されてゐる。(赤字は、小生に拠るもの。)

社伝に云う 文化文政の頃 扇浦(現 羽田空港内)開墾の際 沿岸しばしば激浪のために害を被りたり
或時堤壁に大穴を生じ これより海水侵入せんとす ここに於いて村民等相談り 堤上に一祠を勧請し祀る処稲荷大神を以てす これ実に当社の草創なり
爾来神霊の神威灼然にして風浪の害なく五穀豊穣す その穴守を称するは「風浪が作りしの害より田畑をり給う稲荷大神」という心なり

 しかし、1945年(昭和20年)の敗戦により、連合国軍による羽田空港拡張のため強制退去を命ぜられた。(約12000世帯、約3000名の全住民に48時間以内の強制退去命令を下したといふ。)地元崇敬者有志により700坪が寄進され、現在地に遷座したさうだ。

 境内には、多くの末社があり、2020年(令和2年)には、奥之院・稲荷山を竣工した。

 稲荷山に昇る中腹には、「航空稲荷」などの末社があり、頂上には「稲荷頂乃社」がある。

 東側の道路から見た「奥の院・稲荷山」

 弁天橋通りに戻り、東に進むと、海老取川に架かる「弁天橋」がある。海老取川は「弁天橋」の先で多摩川に合流し、関東大震災や東京大空襲の折に火災に追はれて川に飛び込み亡くなつた無数の遺体がこの地にも流れ着いたといふ。海老取川の河口付近には、さうした有縁無縁の御霊供養をする「五十間鼻無縁仏堂」がある。

 「弁天橋」を渡りかけると、右手の広場に赤い鳥居が見える。「平和の大鳥居」である。

 「平和の大鳥居」は、現在の「羽田空港」内にあつた旧「穴守駅」前の一の大鳥居として、京浜電鉄の重役から奉納されたもので、連合国軍によつて数万基あつた鳥居が取り壊された中、唯一そのまま残つたものである。(なぜこの鳥居だけが残されたかについては、諸説ある。)その後、「羽田空港」新B滑走路の供用に伴ひ、1999年現在の場所に移築された。現在は国土交通省東京航空局所管「東京国際空港」の一部となつてをり、「穴守稲荷神社」との直接的な関係は無くなつてゐるが、「穴守稲荷神社」のHPにも、次のやうに記されてゐる。

神社は連合国軍による東京飛行場接収により、社殿はもちろん、石灯籠や数多の狐像なども、すべて空港の文字通りの『礎』として滑走路の下に埋め立てられてしまった。大禍の去った跡に残ったのは、ただ一基の大鳥居だけであった。

 「平和の大鳥居」前の広場から、多摩川沿ひに遊歩道がある。先の方に「多摩川スカイ美リッジ」が見える。遊歩道からは川縁に降りることができる。
 颱風の影響か、東京湾岸も(ここは正確には多摩川の河口付近だけれど)風がかなり強い。

 「羽田イノベーション シティ(HANEDA INNOVATION CITY)」は、旧羽田空港ターミナル跡地に整備された複合施設で、施設内には複数の建物が建てられ、研究施設・商業施設・ライブハウス・ホテルなどが入る。

 「羽田イノベーション シティ」は、いくつかのゾーンに分かれてをり、「ZONE E」の屋上に「足湯スカイデッキ」がある。

 誰もゐないやうに見えるが、左の方に女性が二人ゐる。この後、ライダーの集団(仮面は被つてゐない)がやつて来た。

 「足湯スカイデッキ」(「ZONE E」の屋上)から2階部分を眺めたところ。2階には、飲食店などの商業施設がいくつもある。(何人もが並んでゐたので写真は撮らなかつたが、とんかつの有名店「とんかつ檍」などもあつた。)

 カフェ&バーやレストランもあり、「HANEDA SKY BREWING」では地元のクラフトビールも味はへる。

 「羽田イノベーション シティ」は、京浜急行及び東京モノレール「天空橋駅」に直結してゐる。

 羽田空港方面は、地下に改札がある。小生は、東京モノレールを利用した。(写真は撮らなかつたが、エスカレーターもある。)

 「羽田空港第1ターミナル駅」に着く。ここは、1階到着ロビー・北ウイング。集合場所の目印「月の塔」がある。

 2階の和食レストラン「Hitoshinaya」で昼食。「あさごはん」「どんぶり」「十割そば」の3店舗が並んでゐるが、小生は昼餉だけれど「あさごはん」を選ぶ。

 小鉢に入つた総菜8品と出汁茶漬の「茶漬膳」を食す。小さな湯呑みに入つてゐるのは、日本茶ではなく出汁。

 食後、6階の「展望台デッキ」に行く。写真が暗いが、右手前に期間限定「HUB羽田空港第1ターミナル売店」で、ビールを飲みながら旅客機を眺めてゐる人がかなりゐる。

 階段で、屋上の「GULLIVER’S DECK(ガリバーズ・デッキ)」に昇ることができる。

 「管制塔」の右に、離陸した旅客機が小さく見える。どこに飛んで行くのだらう?

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