思ひ出の文房具6 DELTA「ドルチェビータ・ミニ」

偏愛文房具

 「思ひ出の文房具」と言つても、このDELTA「ドルチェビータ・ミニ」は、誰かとの思ひ出が詰まつてゐるといふわけではない。「DELTA」はイタリアを代表する筆記具メーカーだつたが、2018年2月に廃業してしまつたからである。
 最近は、鮮やかなデザインの万年筆も増えたが、一昔前までは、高級万年筆は黒(とスターリングシルバー)が主流で、色彩で印象的なのは、限定品を除けばペリカンの緑縞くらゐだつた。さうした中、イタリアのブランドには色鮮やかなものが多く、中でもDELTA「ドルチェビータ」は、南イタリアの太陽を思はせるオレンジの胴軸と黒のキャップとのコントラストが印象的で心惹かれた。安月給の身ではさう気軽には買へないが、コツコツと資金を貯めて手に入れた。いくつかのモデルがあるが、小生、携帯用の小さな万年筆が欲しいと思つてゐて、男にしては手が小さいこともあり、「ミニ」を選んだ。ミニといつても、太さはそれなりにあるので、胴尻にキャップを嵌めれば、十分書きやすい大きさになる。ペン先は14金、キャップリングはスターリングシルバーで、クリップの先端にはポケットに挿した時に布地を傷めないやうにローリングウィールがある。

 DELTAが廃業したと知つた時には寂しかつたが、その後、創業者のニノ・マリノが、新会社「Maiora」を設立し、以前の工場(工作機械・パーツ・素材なども残つてゐたらしい)を当時のまま使用して「DELTA」ブランドを「D-N」として復活させた。人気の「ドルチェビータ」シリーズも「オリジナル・ミディアム」「スリム」は販売されてゐるが、小生の知る限り現在のところ「ミニ」は製作販売されてゐない。(MONT BLANCの「モーツァルト」もPelikanの「M300」も生産中止になつてゐることを思へば、世界的にミニペンの需要は少なく、再び作られる可能性は低いだらう。)小生が〝思ひ出〟といふ所以である。

 ところで、「ドルチェビータ・ミニ」といへば、映画「クローズド・ノート」の中で主人公の堀井香恵(沢尻エリカ)が愛用してゐた。映画は、初日の舞台挨拶での沢尻の無愛想な「別に」発言で悪い意味で話題になつてしまつたが…。(この頃の沢尻は可愛くて綺麗で、「別に」騒動までは〝女子のなりたい顔〟の上位にゐたのに、残念である。確かに人間的に問題のある対応だつたが、歌舞伎役者や昔の大御所俳優には、はるかにとんでもない奴がたくさんゐる。)映画の内容はよく覚えてゐないが、「ドルチェビータ・ミニ」は香恵の大学入学祝ひの父親からのプレゼントで、雫下脩介の原作小説では、父親とデパートに行き、内心「バッグか服でも買ってくれたほうが嬉しいよ」と思ひながらも、文具売り場の万年筆を並べたショーケースを見た香恵の感動が次のやうに描かれてゐる。

 ところが、いざ万年筆を一つ一つ見ていくと、気持ちに不思議な変化が出てきた。
 なるほど高価なだけあって、どれもきれいなのである。ライトの加減もあるのだろうが、一本一本きらきらと輝いている。ペン先はもちろん、黒いばかりだと思っていた樹脂にも艶やかな光沢がある。
 カルティエの万年筆を見つけて、私はほぉ〜と思った。あのカルティエである。黒い樹脂にイエローゴールドの大胆なデザインが施されている。高いはずである。
 ウォーターマンのカレンやパーカーのデュオフォールドも私の目を惹いた。カレンはペン先がボディと一体化したやうな流線型のデザインがきれいだった。デュオフォールドはモザイク模様のボディが何とも言えずおしゃれだった。
 しかし私の目は、次の瞬間にはそこから離れ、ショーケースの片隅に釘付けとなっていた。
 そこにはデルタというブランドの、目にも鮮やかなオレンジ色のボディを擁したシリーズが並んでいた。ドルチェビータ……私はその中のドルチェビータ・ミニという、いかにも可愛らしい万年筆を見下ろして、ため息をついた。オレンジ色がとにかく映えていて、小さいのに存在感があった。黒のキャップにはスターリングシルバーの飾りがアンティーク調に輪を描いていて、貫禄めいた味もかもし出している。

 かうして、香恵はDELTAの「ドルチェビータ・ミニ」を愛用するやうになるのだが、大学生になつた香恵は文具店でアルバイトをしてゐることもあり、小説には万年筆の描写・説明がたくさん出てきて、作者の万年筆に対する造詣や愛情が感じられる。

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