永井荷風『つゆのあとさき・カッフェー一夕話』

積ん読解消 読書日記

2025.05.14

 永井荷風『つゆのあとさき・カッフェー一夕話』(新潮文庫)読了。
 「つゆのあとさき」は、確か高校生の時にも岩波文庫版で読んだはずだが、内容はほとんど覚えてゐない。表面的にしか理解できてゐなかつたのだらう。
 以前の新潮文庫版では「つゆのあとさき」は「踊子」とともに収録されてゐたが、本年1月刊行の新編集版では「カッフェー一夕話」と組になつてゐる。
 それ以前の荷風の小説の代表作「腕くらべ」などの主人公が芸者だつたのに対し、「つゆのあとさき」の主人公・君江は、カッフェーの女給である。そして、この「つゆのあとさき」で、荷風は停滞してゐた創作活動への復活を印象づける。
 カッフェーの「女給」といふのは、現在のカフェのウェイトレスとは全く違ふ。今で言へば、クラブのホステスやキャバ嬢に近いと思はれる。(小生、性風俗には不案内なので、今のホステスやキャバ嬢の実情についても詳しくないが…。)荷風は、その日記『断腸亭日乗』の大正15年11月20日の記事で、カッフェーについて次のやうに説明してゐる。

抑現今市中に流行する酒肆(カツフヱー)なるものゝ状況を見るに、巴里のカツフヱーに似て其の実は決して然らざる処、恰吾社会百般の事西洋文明を模倣せんとして到底よくすること能はざるものと相似たり。酒肆の婢は日々通勤すれども、給料を受けず、客の纒頭にて衣食の道を立つ。されば窃に売色を以て業となすは言ふを俟たざる所なれども、世の風評新聞記者の脅迫を恐れて、容易に酔客の誘ひに応ぜざるが如き態度をなす。帰途手を携へて自働車に乗ることを諾するが如きは、蓋し無二の好遇にして、酔客の窃に喜びとなす所なりと云ふ。

 荷風は、昭和の初め頃から「タイガ」(荷風は「太訝」「太牙」とも書く)を初めとする銀座のカッフェー(酒館)に頻りに通ふやうになる。そこでの女給や酔客たちの観察や見聞が、君江を初めとする登場人物の造型に活かされてゐるのだらう。
 身支度を終へた君江が、二階の控え室から降りてゆく際の描写も、写実的にカッフェーの内部を再現してゐるやうに感じさせる。

階下は銀座の表通から色硝子の大戸をあけて入る見通しの広い一室で、坪数にしたら三、四十坪ほどもあろうかと思われるが、左右の壁際には衝立の裏表に腰掛と卓子とをつけたやうなボックスとかいうものが据え並べてあって、天井からは挑灯に造花、下には椅子テーブルに植木鉢のみならず舞台で使う藪畳のやうな植込が置いてあるので、何となく狭苦しく一見唯ごたごたした心持がする。正面の奥深い片隅に洋酒を棚に並べた酒場があって、壁に大きな振子時計、その下に帳場があり、続いて硝子戸の内に電話機がある。

 これから読む人もゐるだらうから、ストーリーを詳しくは書かないが、「君江」は、あざとくしたたかな女である。男と寝ることを厭ひはしないが、自分の魅力を十分に承知してをり、安売りはしない。自分の損得を考へて、巧みに駆け引きをする。(ただし、カッフェー内での客との駆け引きや女給同士の競ひ合ひは、あまり描かれない。)また、淫蕩で、「初めて逢った男に対しては、度々馴染を重ねた男に対する時よりもかえって一倍の興味を覚え、思うさま男を悩殺して見なければ、気がすまなくなる。」といつた一面もある。
 一方、君江のパトロンの流行小説家・清岡の内縁の妻「鶴子」は、全く違ふタイプである。しとやかで礼節をわきまへてゐる。売文の富を得るやうになつた清岡が、女優に家を持たせ、芸者遊びをし、カッフェーの女給を妾にすると、絶望の悲しみを抱くやうになつた。そして、舅の煕が正式に籍を入れるやう後押しするが、自分の生涯を作り直すため、仏蘭西の婦人の助手として洋行する。明確に対照されてゐるわけではないが、互ひにそれぞれの造型が際立つ一助にはなつてゐるだらう。(ちなみに、清岡の造型には、荷風が蔑視してゐる俗物の文士たちの姿が投影されてゐるのだらう。)
 小説の終はりで、タクシーから転落させられ怪我をした君江は、以前私娼をしてゐた時に一緒に暮らしてゐた京子の元旦那で、会社の金を遣ひ込んで懲役に行つてゐた川島と偶然再会し、一夜をともにする。君江が川島と一夜を過ごしたのは、損得からではなく、自分も気弱になつてゐる時で、川島に同情や懐かしさを感じたからだと思はれる。翌朝、川島は自殺を示唆する手紙を遺して姿を消す。いかにも唐突で、いささか作り物めいた感じはするが、人生の虚無やはかなさを感じさせる。
 もう一篇の「カッフェー一夕話」は、カッフェーの女給仕人(女給)・お蔦の話の聞き書きといふ体裁を取つてゐる。実際に、何人もの女が荷風に自分の身の上を語つたやうで(『断腸亭日乗』にもいくつか引用がある)、さうした話を元にしてゐるのかもしれない。
 なほ、巻末に「つゆのあとさき」発表時の川端康成・谷崎潤一郎の批評及び谷崎への荷風の手紙(谷崎の著作の頭注に引用されたもの)が掲載されてゐる。
 

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