『百人一首(小倉山荘色紙百人一首)』

古典への扉

 「百人一首」とは、百人の歌人の歌を各1首づつ選んだ秀歌撰のことだが、一般には、藤原定家撰とされる『小倉百人一首(小倉山荘色紙百人一首)』(以下『百人一首』)を指すことが多い。元々は、定家が蓮生に嵯峨中院の山荘の障子を飾る色紙形和歌を求められて、百人の秀歌を撰んだものであるが、近世以降〝歌カルタ〟として普及した。ただし、選定過程については、原撰本『百人秀歌』を定家自身が後日改変して現在の『百人一首』にしたといふ説や『百人秀歌』を元に息子の為家が一部の歌人・撰歌を差し替へたといふ説など諸説あり。
 小生は、何度読んだか数へきれないくらい読んだ。と言ふのも、高校1年では、冬季休業中の課題として『百人一首』の暗誦などの課題を課し、3学期に課題テストをしたり『百人一首』のカルタ取り大会をしたりするのが通例であり、その都度『百人一首』を読み返したからである。
 小生が『百人一首』に触れたのは、小学校高学年の頃、正月に『百人一首』のカルタ取りをしたりしたのが最初である。小生の両親は特に教養があるわけでも教育熱心でもなかつたが、『百人一首』が日本人の基本的な教養になつてゐたことの現れだらう。その当時は、歌の意味も正確には理解してゐなかつた。
 『百人一首』の注釈書・鑑賞本を最初に読んだのは、高校の時で、大岡信『百人一首』(講談社文庫)だつた。この本の一番の特徴は、現代日本を代表する詩人である大岡が訳した五行詩が添へられてゐることである。大岡は、中学生の頃から、国文解釈の勉強をする折などに「和歌や俳諧をはじめ、詩的な表現がテキストになっている時、それの通釈が、一つ一つの語義の解釈に慎重なあまり、通読すると必ずしもすんなりと一息に了解できるようなものになっていない例が少なくない…。文法上の正解が、一篇の詩歌の通釈としては必ずしも魅力満点のものとは限らぬ事例が多いのではないか。」といふ疑問を抱いてをり、この現代詩訳がそのささやかな答であるといふ。その後、和歌の通釈をする際に、この形式に倣つたものが多く書かれるやうになつた。

 次に詩人・俳人の安東次男『百人一首』(新潮文庫)を読んだ。『百人一首』の各歌の後に歌意・語釈を記し、さらに解説を載せてゐるが、この本の特色は、『百人一首』の解説に続いて、1951年に存在が明らかになつた定家撰「百人秀歌」を掲げ、その二首一組の組み合はせに定家の意図を読み取り、「百人一首」での歌人や歌の出入り・配列を比較しながら、解釈を施してゐる点である。安東は、『花づとめ』『古句再見』『風狂始末 芭蕉連句新釈』などでの古典詩歌の鋭い鑑賞・解説に定評がある。

 次に田辺聖子『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫)を読んだ。軽妙洒脱な語り口で解説を施してゐて、読みやすい。田辺は、芥川賞を受賞した小説家であるが、古典の造詣も深く、『源氏物語』や『落窪物語』の現代語訳もある。『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫)には、岡田嘉夫の挿絵を添へたカラー版もある。

 これ以降は、読んだ順番をあまり覚えてゐないし、グループ分けをして紹介する。
 まづ、上記のものに続いて、作家や詩人・歌人の解説・鑑賞本を挙げてみる。(小生、このグループのものは、何首か摘まみ読みをしただけで、通読してゐないものもあるけれど…。)
 随筆家・白州正子の『私の百人一首』(新潮文庫)。これは、「新潮選書」中の1冊として書き下ろしたものの文庫化。現代語訳を独立して置くことはせず、鑑賞文の中で解釈してゐる。

 詩人・歌人・俳人の高橋睦郎『百人一首 恋する宮廷』(中公新書)「静岡新聞」日曜版に連載したもので、各歌の後に現代語訳・解説を載せてゐるが、現代語訳は、原文を尊重しながら、言葉を補ひこなれたものになつてゐる。巻末に歌人・水原紫音との対談を付す。

 小説家・橋本治『新装版 桃尻語訳 百人一首』(海竜社)。〝桃尻語訳〟とは、かつて詳細で解りやすい注で一世を風靡した『桃尻語訳 枕草子』(河出文庫)で施された、当時の若い女性(女子高生?)の話言葉による現代語訳のこと。(〝桃尻語〟といふ命名は、橋本の小説『桃尻娘』に由来する。)やや軽薄で、今となつては古臭くなつてゐるが、親しみやすいものではある。ただ、『枕草子』と違ひ、この『百人一首』では、現代語訳も「五七五七七」の定型に従つてゐるため、やや無理がある場合もある。本の後半に、桃尻語訳による『百人一首』のカルタが付いてゐる。橋本には、他に『絵本 徒然草』(河出文庫)・『窯変源氏物語』(中央文庫)・『双調 平家物語』(中公文庫)など多数の古典の現代語訳(翻案)がある。

 同じ橋本治『百人一首がよくわかる』(講談社)は、上の『新装版 桃尻語訳 百人一首』(海竜社)のカルタを省き、新書版にしたもの。

 詩人・小説家・小池昌代『ときめき百人一首』(河出文庫)。これは河出書房新社「14歳の世渡り術」シリーズ中の1冊として出版されたものの文庫化。原著が中高生向けのものなので、平易で解りやすく書かれてゐる。見開き1首で、右ページに各歌と現代詩訳・ことばのメモ(語釈)、左ページに解説・読解を載せ、和歌の基本事項についての説明もある。

 同じく小池昌代『百人一首』(河出文庫)は、「池澤夏樹個人編集 日本文学全集」(河出書房新社)『口訳万葉集・百人一首・新々百人一首』中の小池担当の「百人一首」に加筆修正しあとがきと解題を加へ文庫化したもの。(「口訳万葉集」は折口信夫、「新々百人一首」は丸谷才一著。)各歌の後に現代詩訳を掲げ解説を付してゐるが、訳は、上の『ときめき百人一首』(河出文庫)を改めて、やや落ち着いたものになつてゐる。

 歌人・馬場あき子『馬場あき子の「百人一首」』(NHK出版)。「NHK短歌」の連載に加筆・訂正を加へて単行本化したもの。1首3ページで、1ページ目の中央に『百人一首』の各歌を置き、その右に歌の心(現代語訳ではない)、左に語注を添へ、2ページ分の解説を付す。馬場には、これ以前に『百人一首』(平凡社カラー新書)の著もある。(小生、未見。)

 次は、よく高校の副教材として採用されるカラー版の『百人一首』を紹介する。多くが、一般書店でも購入できる。
 島津忠夫・櫟原聰『二訂版 カラー 小倉百人一首』(京都書房)。見開き2ページに4首を掲げ、歌意・主題・鑑賞・作者・語句等の解説を付す。さらにいくつかの歌については、歌の内容をイメージした写真や光琳カルタなどのカラー図版を載せる。学校での採用を前提にして、巻末に作品や和歌の修辞についての解説の他、品詞分解・修辞図解一覧などを付す。

 久保田淳〔監修〕『光琳カルタで読む 百人一首ハンドブック』(小学館)。1ページに1首、上下2段組で、上段中央に各歌を置き、その左右に光琳カルタの図版(上句・下句の2枚づつ)・作者・出典・歌意を添へ、下段には語釈鑑賞文を載せる。

 鈴木日出男・山口慎一・依田泰『原色 小倉百人一首 朗詠音声付き』(文英堂)。原則1ページ1首で(中に大きな写真を載せて2ページ使ふ歌もある)、まず『百人一首』の各歌を掲げ、その下に歌意、左に2段組で鑑賞・作者・語句・語法・品詞分解を付し、さらにQRコードで朗詠音声を聴くことができる。類書の中では、おそらく高等学校での採用が1番多いと思はれる。

 次に国文学者の注釈書・鑑賞書を紹介する。
 石田吉貞『百人一首評解』(有精堂)。今では文庫でも専門家の優れた注釈書がいくつもあるが、小生が学生の頃は、学者の注釈として定評があるのは石田の『百人一首評解』と次に紹介する角川文庫島津忠夫のものだつた。始めに『百人一首』藤原定家についての解説を置き、その後に評解を載せる。評解は、まづ『百人一首』の各歌を掲げ、口訳・語釈・補註・諸説・出典・鑑賞・作者の順で解説を施す。巻末に和歌・作者・重要語句の索引あり。石田は、冒頭のはしがきで評解の方針を「小倉百人一首の歌の研究を近世以前にかえし、その歌に対する鑑賞を撰者藤原定家の撰歌意識にまでかえしたい、これが私のこの書を手がけた、小さな、しかし見方によれば大それた望みの一つでした。」と述べてゐる。(下の写真は、小生の所持してゐる1984年の第24版で、その後1988年に新装版が出たが、1996年に版元の有精堂出版が倒産してしまつた。)石田には、他に『新古今和歌集全註解』(有精堂)など高い評価を得てゐる著がある。

 島津忠夫『新版 百人一首』(角川ソフィア文庫)。長く、文庫版の『百人一首』注釈書として最も信頼・評価されてきた。見開き2ページで1首。右ページで各歌に現代語訳・鑑賞・脚注を添へ、左ページで出典・参考・作者の解説を載せ、作者の解説の上に歌仙絵を付し、限られたスペースの中ではあるが、脚注参考の中で古注釈の引用も多くなされてゐる。通釈の後に補注・解説を置く。解説の中では、成立についての詳細な考察古注釈を含む「百人一首」の注釈書が多く紹介されてゐる。巻末に作者・和歌(各句)索引及び百歌一覧きまり字付き)を付す。解釈の方針は、凡例で「現代語訳は撰者藤原定家がどう解釈していたかという立場に立っているので、従来の通説と異なる場合も多い。その時は、参考・語釈(脚注)で必ず通説に触れており、原作者の詠作意図としては通説の方がよいと思われることもあるので注意してほしい。」と述べられてゐる。

 池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫)「日本文学全集」(河出書房新社)『古典詩歌集』中の筆者担当の「小倉百人一首」の部分と『巷説百人一首』(サントリー)を元にして、再編集・訂正・増補したものである。各歌を掲げた後に現代語訳・出典・作者・語釈・評註・伝承を付す。池田は、折口信夫に師事し、日本文学の芸能的研究をよくした。伝承の項で『百人一首』の民衆への浸透・普及の歴史に触れてゐるのが特色である。

 犬養廉『全対訳日本古典新書 小倉百人一首』(創英社)。見開き2ページに1首で、最初に歌を掲げ、脚注を施し、語訳・鑑賞・作者伝を載せ、巻末に百人一首の歴史・上句索引・下句索引・年表を付す。口語訳は、言葉を補ひ解りやすいものになつてゐる。

 鈴木日出男『百人一首』(ちくま文庫)。見開き2ページで1首で、各歌の後に囲みで現代語訳を置き、解説を載せる。その後に所載歌集・作者・技法(修辞)を付し、囲みで語釈を添へる。現代語訳は原文に忠実で、語釈は丁寧である。巻末に『百人一首』解説・和歌の表現技法について・『百人一首』要語ノート・年表を付す。

 有吉保『百人一首 全訳注』(講談社学術文庫)。1首4ページで、各歌の後に現代語訳・語釈・出典・鑑賞・作者・古注・解説を載せる。古注について、有吉は、まえがきで「とくに本書で試みようとしたのは『百人一首』の古注において、どのように鑑賞されたかを示すために、現存最古の古注群の諸相を示す代表的な古注釈書の『応永抄』(『宗祇抄』と校合して、両本の再現を示した)・『経厚抄』・『頼孝本』の全文を翻刻し、室町期成立とみられる他の諸注釈書との比較考察をし、さらに、江戸期の代表的な古注・新注の諸書に継承・展開されている点の指摘や、現代の諸注釈書にもできる限り言及した点である。」と述べてゐる。巻末に解説・古注一覧・参考文献・上句索引・下句索引を付す。質・量ともに『百人一首』注釈の白眉である。

 久保田淳『百人一首』(岩波文庫)。1首2乃至4ページで、各歌を掲げた後に訳・出典を置き、解釈を載せる。訳は、原文に忠実だが、必要に応じて言葉を補ひ理解しやすいものになつてゐる。解釈は丁寧で、下河辺長流『百人一首三奥抄』・契沖『百人一首改観抄』・賀茂真淵『宇比麻奈備』・香川景樹『百首異見』など近世の注釈書の引用も多い。さらに『百人一首』に収録されてゐない『百人秀歌』の和歌4首の解釈、解説・作者一覧・出典としての十勅撰集・和歌史年表・主要参考文献を付す。(詳しくは「積ん読解消 読書日記」の6月14日付の投稿参照。https://seiyu-udoku.jp/久保田淳-校注『百人一首』/)久保田には、『新古今和歌集全注釈』(角川学芸出版)『藤原定家全歌集』(ちくま学芸文庫)など多くの著作がある。

 谷知子『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 百人一首(全)』(角川ソフィア文庫)。1首2ページが基本だが、中に3ページを費やすものもある。各歌を掲げた後に現代語訳・解説を添へる。現代語訳は原文に忠実で、解説も解りやすい。巻末に『百人一首』や和歌についての解説を付す他、コラムで和歌に纏はる様々な事柄について解説してゐる。

 谷知子『百人一首解剖図鑑』(エクスナレッジ)。最初に『百人一首』や平安貴族についてのイラストを多用した解説を置く。1首1ページ3段組で、上段の最初に作者と和歌を掲げ、解説を載せる。中段は、上句・下句それぞれの現代語訳イラストを添へて載せ、作者についての解説を囲みで添へる。下段(狭いけれど)に語釈を置く。さらに、必要に応じて、作者和歌中の語句歴史や風俗について、イラストを多用して解説する。

 小田勝『百人一首で文法談義』(和泉書院)。構造を明らかにするため、句読点を付し引用句をカギ括弧で囲んだ各歌を掲げた後に、出典・現代語訳を付し、解説を記してゐる。解説は、文法的説明に詳しく、さらに問題となる箇所では古注の説を引用したりしてゐる。また各歌を本歌取りした歌(影響が認められる歌を含む)のいくつかを挙げ、大意を付してゐる。小田は日本語学者で、本書を著した意図をあとがきの中で「百人一首の注釈書はまさに汗牛充棟といえますが、それでも語学の研究者が著したものはたいへん少なく、特に、著しい進展を見せている古典文法研究の最新の成果を取り入れたものは見られないようです。…そのようなわけで、古典文法の研究者に百人一首歌はどう見えるものであるか、それを示してみようと思いました。」と述べてゐる。小田は、『源氏物語』の一文ごとに文法的に詳しい解説をなした『源氏物語全解読』(和泉書院)も刊行中である。

 『百人一首』の注釈書は汗牛充棟で、古注釈の数も『古今和歌集』や『源氏物語』を遥かに超える。影印本翻刻本が刊行されてゐるものは、有吉保『百人一首 全訳注』(講談社学術文庫)の古注一覧に挙げられてゐるが、その中で尾崎雅嘉(古川久 校訂)『百人一首一夕話』(岩波文庫)は、半世紀以上前から文庫になつてゐて、広く親しまれてゐる。尾崎は江戸後期の国学者で、各歌について、まづ作者とその紹介和歌とその出典・歌の心(趣意)を記すが、その後に付される作者の略伝や逸話が詳しく、興味をそそられる。

 ここに挙げたもの以外にも『百人一首』の注釈書や鑑賞本は数へきれないほどあるが、一般の人が古典和歌として正確に読むのなら、鈴木日出男『百人一首』(ちくま文庫)谷知子『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 百人一首(全)』(角川ソフィア文庫)が簡潔で解りやすくて好いと思ふ。古典にかなり親しんでゐる人がさらに深く読みたいならば、島津忠夫『新版 百人一首』(角川ソフィア文庫)有吉保『百人一首 全訳注』(講談社学術文庫)久保田淳『百人一首』(岩波文庫)を読まれたし。文法的に正確に解釈したい場合は、小田勝『百人一首で文法談義』(和泉書院)が詳しい。勿論、『百人一首』を味はふには、作家や詩人・歌人の鑑賞本でも好い(時に学者よりも鋭い鑑賞や魅力的な読みを示してくれる)が、やはり作家や詩人・歌人の中でも古典の素養がある(古語や平安時代の文化に詳しい)筆者のものが好ましい。中には、不勉強ゆゑに偏つた独善的な解釈をしてゐるものもあるからである。
 『百人一首』について、謎解き深読みをしてゐるものもあるが、さうした本は、古典作品として正確に読んだ上での知的探究(遊戯)として愉しむのが好いと思ふ。
 『百人一首評解』の「はしがき」の中の石田吉貞の次の言葉は、解釈と鑑賞についての真理だと思ふ。

鑑賞という仕事は詩人の仕事だと思います。詩的な魂が作者の詩的な魂とふれあうときにのみ、本当の鑑賞が生まれるものであると思います。「解釈と鑑賞」と簡単に申しますが、解釈と鑑賞とは全くちがった魂の仕事だと思います。鑑賞においては全く学者をはなれなければなりません。しかしそうかと言って、全く学者的な目を欠いた単なる詩人の鑑賞は、ともすると一詩人の恣意的なものに陥ってしまう恐れがあります。正しい解釈の無いところにすぐれた鑑賞はなく、すぐれた鑑賞があってのみ真の解釈が可能だと思います。

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