2026.01.24
山下澄人『しんせかい』(新潮文庫)読了。第156回芥川賞受賞。赤染晶子『乙女の密告』に続き芥川賞受賞作の〝積ん読解消〟である。
主人公の「スミト」は、北海道にある俳優・脚本家の養成塾の二期生である。作者の経歴を知らなくても、誰もが倉本聰の「富良野塾」を思ひ起こすだらう。スミトは、塾の主宰者【先生】の代表作を見たことがなく、【先生】作のドラマもいくつかは見てゐたが、それが【先生】の作品だといふことも知らずに入塾してゐた。そもそも入塾の動機も、家に間違へて配達された新聞に、俳優と脚本家の養成所の二期生募集の記事が載つてゐて、馬の世話をするのと遠く離れたところにあるのと入学金や授業料が一切かからないといふのに引かれて応募したといふ。脚本家といふものを知らず、ブルースリーや高倉健になりたいとは思つたが、俳優になりたかつたのかどうかもわからない。頭の悪い中学生のやうな進路選択の動機である。そしてスミトは、記憶力も悪く、他人の気持を理解する能力も欠如してゐる。ただし、これは私小説ではない。作者の経験が活かされてはゐるだらうが、作者も最後に「すべては作り話だ」と打ち明けてゐる。そもそも〝頭の悪い中学生〟に、こんな文章は書けないだらう。文章は、一人称で語られるが、真直ぐに進まずに、説明の文章が挿入されたり、横道に逸れたりする。でも、独特のリズムがあり、慣れればスムーズに読める。語られてゐる出来事やスミトの考へたことには、妙なリアリティがある。主人公の名前が作者と同じ(カタカナ表記だが)で、読者は、実際の倉本聰や「富良野塾」を想起するだらうが、それも作者の計算だらう。
これから読む人のために、詳しくは書かないが、小説は、スミトが【谷】と呼ぶ俳優・脚本家養成塾で1年間に経験したあれこれを語る。塾の入所期間は2年で、小説は、次のやうに締めくくられる。
それから一年【谷】で暮らした。一年後【谷】を出た。
2年目も、1年目と同じやうに、入塾生の歓迎会があり、【先生】の授業を受け、農家の手伝ひをし、施設や家具を作り、飲み会があり、塾生同士のトラブルがあり、途中でやめる塾生がゐて、残つた者は卒業していつたのだらう。しかし、何も語られない。特筆すべきことは無かつたに違ひない。はつきりした目的があつて、あるいは曖昧な動機で、〝しんせかい(新世界)〟に飛び込んでも、結局は今までの人生の延長である。人は、自分以外の何者かになれるわけではない。無駄な時間を費やして生きることが、青春の特権である。作者は、「あとがき」の中でかう述べてゐる。
この小説は無駄である
そのことをわたしは、わたしだけは、誇りに思う
余談。小生、読みたいと思つた本は、すぐに読まなくてもなるべく買ふことにしてゐる。(収蔵スペースや経済的な制約はあるけれど…。)古典の文庫は、大抵買つておく。読みたいと思つた時に、版元品切れになつてしまつてゐることが少なくないからである。だからなかなか貯金が出来ない。芥川賞受賞作も、文庫になると大抵買ふ。世間では最も知名度のある文学賞とはいへ所詮は新人賞であるが、時に新しい表現や才能に触れる歓びがあるからである。(と言ひながら〝積ん読〟になつてしまつてゐることが多いけれど…。)最近では(と言つても10年近く前だが)、村田沙耶香の『コンビニ人間』が面白かつた。(村田のその後の活躍は言ふまでもない。)勿論、読み終へてつまらないと思ふこともある。無駄な時間を費やしてしまつたことになるが、それも人生である。(正直に言へば、この齢になると残された時間は貴重なのだが…。)



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