2025.11.09
永井荷風『濹東綺譚・ひかげの花』(旺文社文庫)読了(再読)。初読は、高校生の頃で、細かなことは覚えてゐないが、観念的にしか理解できてゐなかつたと思ふ。文庫収録順ではなく、執筆順にとりとめもない感想を記してみる。
先日読了した『断腸亭日乗(四)』(岩波文庫)は昭和8〜10年の日記だつた。この時期荷風は創作の停滞期だつたが、当時親しんだ私娼・黒沢きみをモデルにして「ひかげの花」を書いてゐる。昭和8年6月6日と昭和9年6月5日との記事を引いておく。(引用文中、一部の異体字は通行の字体に改めた。)
六月六日。晴。後にくもる。晩餐後黒沢きみの行衛をさぐる手がゝりを得んものと思ひて、兼て聞知りたる其親戚の家を浅草東三筋町にたづねしが遂に得ずして止む。おきみといふ女の性行経歴はこれを委しくさぐり出さば必小説の材料となすに足るべきものと思はれしが故なり。…
六月五日。晴又隂。椎の花香し。小説日かげの花の稿を終ふ。四月中旬起草せしものなり。…
勿論、文学作品にとつては発表された本文がすべてであり、作品の背景となる社会についての知識は必要だが、登場人物のモデルなどは本来二次的な問題に過ぎない。ただ、荷風の場合、『腕くらべ』の駒代が芸妓、『つゆのあとさき』の君江がカフェーの女給、『ひかげの花』の千代子・『濹東綺譚』のお雪が私娼であるが、それは荷風がそれぞれの小説の執筆当時に親しんだ女たちの境遇を反映してゐる。
「ひかげの花」では、主人公の重吉は、十以上も年の離れた妾上がりの女と同棲してゐたが、女が死ぬとその遺産の一部を貰ひ、派出婦としてやつてきた千代子と関係を持ち、一緒に暮らすやうになる。金融恐慌で、勤めてゐた土地家屋周旋業の会社が解散し、女の遺産を使ひ果たしてしまふと、女の残した衣類を質に入れて糊口を凌ぐ。そんな時に、千代子は、銭湯で知り合つた老婆に声を掛けられる。老婆は、実は私娼媒介を生業としてゐた。その観察力は鋭い。(『濹東綺譚・ひかげの花』からの引用は、振り仮名を省略する。)
多年の経験で、この老婆は女を一目見れば、誘惑することが出来るか否かをすぐに判断する眼力を持っている。殊に女湯の中で、着物を脱いだり着たりする様子を一見すれば、其女の過去現在の境遇は勿論のこと、男の気に入る性の女かどうかをも誤なく判断する事ができる。
初めて言葉を交わしてからもうかれこれ三月ぢかくになるが、今だに着通しに着ているお千代の着物を見ると、品物は金紗の上等物でありながら、袖口や裾まわりの散々にいたんだのを、湯屋へ来る時などは素肌にきて、腰巻などは似もつかぬ粗末なものを取返えもせずに締めている。この様子だけでも、老婆はもうそろそろ話をし出してもいい時分だと考えて、銭湯への行きがけ、内の様子を見がてら、それとはなく尋ねて来たのである。
引用は控へるが、結局千代子は重吉にはカフェーに勤めるふりをして、実際は私娼になるのだが、その事が露見する部分の描写が巧みなことは、解説の吉行淳之介も言及してゐる。
ただ、結末近くで、千代子は、幼い頃に養女に出した私生児・深沢たみが売春で検挙されたのを新聞で知るが、このあたりのところはやや作り事めいた感じがする。
「濹東綺譚」は、昭和12年4月に私家版で刊行された。『断腸亭日乗』によれば、昭和11年9月7日にお雪のモデルと覚しき女と出逢つてゐる。(『断腸亭日乗』岩波文庫版は、昭和10年までの分しか刊行されてゐないので、以下の引用は岩波書店『荷風全集 第二十三巻』に拠る。)その後、ほどなくして「濹東綺譚」の執筆が始まる。
九月初七。…夜隅田公園を歩む。…言問橋をわたり乗合自動車にて玉の井にいたる。今年三四月のころよりこの町のさまを観察せんと思立ちて、折々来りみる中にふと一軒憩むに便宜なる家を見出し得たり。その家には女一人居るのみにて抱主らしきものゝ姿も見えず、下婢も初の頃には居たりしが一人二人と出代りして今は誰も居ず。女はもと洲崎の某楼の娼妓なりし由。年は二十四五。上州辺の訛あれど丸顔にて眼大きく口もと締りたる容貌、こんな処でかせがずともと思はるゝ程なり。あまり執ねく祝儀をねだらず万事鷹揚なところあれば、大籬のおいらんなりしと云ふもまんざら虚言にてはあらざるべし。…
九月二十日…日曜日にて街上雑遝甚しければ電車にて今宵もまた玉の井の女を訪ふ。この町を背景となす小説の腹案漸く成るを得たり。
十月七日。秋隂昨の如し。終日執筆。命名して濹東綺譚となす。…
10月25日に「濹東綺譚脱稿」の記事があるが、11月に「作後贅言」(日記では「濹東余譚」とされてゐる)を執筆してゐる。また、5月16日には「玉の井見物の記」として、玉の井を観察した記事が略図とともに記されてゐる。
「濹東綺譚」では、主人公の小説家・大江匡は、小説「失踪」を執筆中だが、物語の結末に悩んでゐる。大江は、「失踪」の主人公・種田が家族を棄てて世を忍ぶ処を玉の井の近くの裏町にしようと考へ、玉の井界隈を歩いてゐると雷雨に遭ふ。傘を差して歩きかけると浴衣姿の女が「檀那、そこまで入れてってよ。」と入つてきた。私娼・お雪との出逢ひである。大江は、お雪に馴染み、二人の間には娼婦と客以上の心の繫がりが生まれるが、お雪が「わたし、借金を返しちまったら。あなた、おかみさんにしてくれない。」と言ひ、自分に温かな感情を寄せてゐるのを知ると、自分の60歳近い年齢と自分が家庭生活に向かないことを鑑みて、別れを考へる。
わたくしは若い時から脂粉の巷に入り込み、今にその非を悟らない。或時は事情に捉われて、彼女達の望むがまま家に納れて箕帚を把らせたこともあったが、然しそれは皆失敗に終った。彼女達は一たび其境遇を替え、其身を卑しいものではないと思うようになれば、一変して教う可からざる懶婦となるか、然らざれば制御しがたい悍婦になってしまうからであった。
お雪はいつとはなく、わたくしの力に依って、境遇を一変させようと云う心を起している。懶婦か悍婦かになろうとしている。お雪の後半生をして懶婦たらしめず、悍婦たらしめず、真に幸福なる家庭の人たらしめるものは、失敗の経験にのみ富んでいるわたくしではなくして、前途に猶多くの歳月を持っている人でなければならない。
だが、お雪の知らない自分の一面を曝露して、自分と家庭を築くことの非を知らしめることを躊躇してゐる。その理由——。
…わたくしが猶躊躇しているのは心に忍びないところがあったからだ。これはわたくしを庇うのではない。お雪が自らその誤解を覚った時、甚しく失望し、甚しく悲しみはしまいかと云うことをわたくしは恐れて居たからである。
お雪は倦みつかれたわたくしの心に、偶然過去の世のなつかしい幻影を彷彿たらしめたミューズである。
別れを躊躇しながらも、お雪を訪れることが間遠になつた9月の十五夜の夜、大江はお雪が病んで入院してゐることを知る。10月になると、玉の井に通ふことも無くなる。そして、その後に「わたくし」のお雪に対する思ひが述べられ、小説は終はる。
荷風は、さらに「作後贅言」を付す。内容は、「濹東綺譚」とは直接の関係は無く、神代帚葉ら知人たちとの交流の思ひ出や世相の変化への歎きである。しかし、やはりこの「作後贅言」があることで、作者やお雪ら当時の世相からはみ出た者の哀しみがより立体的に描き出される。
荷風は、『断腸亭日乗』で、東京の風景とともに人の心も移り行くことを繰り返し歎く。「人心の下落せしことも亦甚しきなり」「時勢の変化唯驚くの外はなし」「年々人心の野卑になり行くこと驚くの外はなし」…。「濹東綺譚」で、大江は、隣家のラディオの音に苦しめられて家を出るのだが、実際、荷風自身『断腸亭日乗』の中でラディオに対する嫌悪の情を述べてゐる。一方、「道源寺阪を下る時、生垣の彼方なる寺の本堂より木魚の音静に漏れきこゆ。幽情愛すべし。」と江戸情緒を懐かしむ。思へば、荷風が心を寄せる女は、悪所に身を堕としながらもまだ擦れてゐない、古風で純朴さの残る、いはば〝ひかげ〟に咲く小さな〝花〟のやうな女である。「濹東綺譚」のお雪もそんな女の一人である。
…お雪という女の住む家が、この土地では大正開拓期の盛時を想起させる一隅に在ったのも、わたくしの如き時運に取り残された身には、何やら深い因縁があったように思われる。其家は大正道路から唯ある路地に入り、汚れた幟の立っている伏見稲荷の前を過ぎ、溝に沿うて、猶奥深く入り込んだ処に在るので、表通のラディオや蓄音機の響も素見客の足音に消されてよくは聞こえない。夏の夜、わたくしがラディオのひびきを避けるにはこれほど適した安息処は他にはあるまい。
いつも島田か丸髷にしか結っていないお雪の姿と、溝の汚さと、蚊の鳴声とはわたくしの感覚を著しく刺戟し、三四十年むかしに消え去った過去の幻影を再現させてくれるのである。…
わたくしはお雪さんが飯櫃を抱きかかえるようにして飯をよそい、さらさら音を立てて茶漬を掻込む姿を、あまり明くない電燈の光と、絶えざる溝蚊の声の中にじっと眺めやる時、青春のころ狎れ親しんだ女達の姿やその住居のさまをありありと目の前に思浮べる。
『濹東綺譚』の主人公は、大江匡といふ小説家であるが、その作品として名を挙げてゐる「昼すぎ」「妾宅」「見果てぬ夢」は荷風の著作であり、作中に友人として実在の神代帚葉の名を出すなど、意図的に大江匡を自分と同一視させようとしてゐる。(生年も同じ明治12年。)荷風の娼婦小説と日記『断腸亭日乗』とを併せ読むことで、荷風が日蔭の女たちにどのやうに寄り添はうとしてゐたか、その思ひに近付けるのではないか。
また『濹東綺譚』では主人公の大江匡が執筆中の「失踪」の草稿がしばしば挿入される二重構造の小説である。西洋では、シェイクスピアやチェーホフの作品にも〝劇中劇〟はあるし、日本でも、戦後では、吉行淳之介の『星と月は天の穴』などがすぐに思ひ浮かぶが、昭和初期にはまだ珍しいのではないか。(小生が忘れてゐるだけで、たくさんあつたらごめんなさい。)小説の結末部分で、大江が読者に語りかけるのもいはゆるメタフィクションである。(日本では『源氏物語』の草子地や荷風も紹介してゐる為永春水や芥川の「羅生門」などの例もあるけれど…。)荷風は、世間で考へられてゐるよりも技巧的な作家である。『断腸亭日乗』を読むと、20世紀のフランス文学を原書でかなり読んでゐたことを思へば、不思議ではないけれど…。
荷風は、自分の分身とも言へる大江の「失踪」の草稿の末節で、主人公の種田に「すみちゃん、おれは昨夜から急に何だか若くなったような気がしているんだ。昨夜だけでも活がいがあったような気がしているんだ。」と言はせてゐる。そして、愛人である女給のすみ子と行末のことを語り合ふ。大江はお雪と別れることを選んだが、心の奥底では種田のやうにお雪に寄り添つて生きていきたい〝希望〟があつたのだらう。さうした大江の背反する心は、荷風自身の内面の反映ではないか。



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