2025.11.05
ふと甲府市街を散策しようと思ひ立つた。
JR「高尾駅」から普通列車に乗り、中央本線「甲府駅」に着く。(交通費を節約するため特急は使はなかつた。)甲府には、部活動の関東大会の引率で来たし、個人でも「山梨県立文学館」に来たことがある。車で「昇仙峡」にも何度か来た。
甲府駅北口には、屋根付きの歩行者デッキがあり、左(西)に「NHK甲府放送局」、右(東)に「山梨県立図書館」がある。



「県立図書館」の入口近くには、本を読む少女と棚から本を取らうとする(?)幼児のパネルがある。

「武田神社」に行くために駅前通り(武田通り)を北上する。通り名の石柱の上に〝武田菱〟がある。

一見ホテルのやうな建物だが、予備校「甲斐ゼミナール」の校舎だつた。隣には「甲斐大学予備校」もあつた。

途中にあつた「満蔵院」と「教昌寺」(どちらも真言宗の寺)。「満蔵院」は、武田信虎が霊夢に感じ、千手観世音菩薩を造立して堂宇を建立したのが始まりだといふ。


「星野書店」といふ本屋があつた。店頭に手書きの漢字クイズがあつたりして、ほのぼのとした。ぜひとも永く続いてほしい。

通りの両側に「山梨大学」がある。(略称は「なしだい」らしい。)


さらに進むと、正面に「武田神社」の鳥居が見えてくる。その手前右手には「信玄ミュージアム」がある。


「武田神社」は、武田氏の居館「躑躅ヶ崎館」の跡地に建てられてをり、武田信玄を祭神とする。
「武田神社」の拝殿前には、「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」公開記念として「鬼滅の刃」の主人公・竈炭治郎の等身大パネルがあつた。武田信虎・信玄に仕へた武将・多田三八郎が鬼(妖怪)を退治したといふ伝説があるため、〝鬼滅隊〟の発祥の地とする説があるらしい。(もつとも鬼退治では、源頼光の方が有名で、時期も早いが…。)

拝殿前には巳年の大絵馬もあつた。

境内には「甲陽武能殿」といふ立派な能舞台もある。

駅前まで戻り、甲州ほうとうの老舗「小作」で昼餉。「豚肉ほうとう」を食す。豚肉の他に南瓜・大根・人参・里芋・白菜・葱・蕨などたくさんの野菜(山菜)が入つてゐる。


北口広場(よっちゃばれ広場)には、「武田信虎像」や「甲府市藤村記念館」がある。〝藤村〟記念館といふと島崎藤村を思ひ浮かべる人もゐるかもしれないが、これは山梨県令で〝藤村式建築〟と呼ばれる〝擬洋風建築〟を推進した藤村紫朗の記念館で、明治時代初期に建てられた「旧睦沢学校校舎」を移築し利用している。


広場の東には「舞鶴跨線橋」があり、線路の南北を繋いでゐる。(駅の自由通路や踏切もあるが。)跨線橋の東には「甲府城」跡の一部を整備して開放した「甲府市歴史公園」があり、「山手御門」(「山手門」と「山手渡櫓門」)が復元されてゐる。

「甲府市歴史公園」の東南には、明治・大正・昭和初期の歴史ある甲府城下の町並を再現した「甲州夢小路」がある。そのシンボルでもある〝時の鐘〟は法性山玄法院の鐘楼を模したもので、他にも〝擬洋風建築〟を再現したり、古民家を移築再生したりした建物もあり、「山梨県建築文化賞」を受賞したといふ。いくつもの飲食店の他、ギャラリーやワイン・ジュエリー・和紙の店などがある。



甲府駅南口には、バスターミナルがあり、駅ビルの「CELEO」には、「くまざわ書店」が入つてゐる。(「武田信玄像」もあるが、写真を撮り忘れた。)

駅前大通り(平和通り)ではなく、「舞鶴跨線橋」から続く県道31号を南に進むと、左手に「舞鶴城公園」、右手に「山梨県庁」が現れる。

こちらの歴史を感じさせる建物は、「山梨県庁別館」。新しい県庁舎が建てられるまでは、はこちらが本館だつた。「山梨県議会議事堂」とともに1930年(昭和5年)に竣工したもので、山梨県の有形文化財の指定を受けてゐる。

県庁の南には「山梨ジュエリーミュージアム」がある。山梨県は、江戸時代に上質の水晶が採掘されて研磨加工技術が発達し、宝飾品出荷額は、全国シェアの約2割を占める。

「甲府市役所」の10階には展望ロビーがあり、一般に無料で開放されてゐる。甲府市街や南アルプスが一望できる。

天気が好ければ、富士山がよく見えるさうだ。今日は雲が多いが、山脈の向かふに雲の絶え間から冠雪した富士山の頂が見える。(写真だと判りにくいけれど…。)

来た道を戻り、「山梨ジュエリーミュージアム」の交叉点を右(東)に折れると、右手に「山梨万年筆商会」があり、左手に「小江戸甲府花小路」がある。

「小江戸甲府花小路」は、旧税務署・社会福祉会館跡地に、かつて「小江戸」と呼ばれた甲府城下町の情緒豊かな町並みを再現したものである。山梨の地場産業や食材を活かした店舗・飲食店が建ち並ぶ。



「小江戸甲府花小路」内の「こうふ亀屋座」は、江戸時代の芝居小屋に名を取つた〝歴史文化交流施設〟であり、室内演芸場の他、多様な交流を生み出すオープンスペースとして大小2つの交流広場がある。(下の写真は、「交流広場・北」の円形ステージ。手前に座席がある。)

「小江戸甲府花小路」の北には「舞鶴城公園」があり、「遊亀橋」を渡ると公園に入ることができる。
「舞鶴城公園」は、武田氏滅亡後に築城された「甲府城」跡の一部である。「甲府城」は、白壁が重なり合ふ優雅な姿から「鶴が羽根を広げたような城郭」といふ意味で「舞鶴城」とも呼ばれた。築城当時の石垣や復元された門・稲荷櫓などがある。

「遊亀橋」を渡り公園に入ると、翼を広げた鶴の像がある。

「鉄門」(くろがねもん)は、明治初年まで本丸の南側にあつた2階建の櫓門を伝統工法によつて復元したもの。

「稲荷櫓」から眺めた「天守台」。右の鉛筆のやうな形の塔は、度重なる水害によつて荒廃した山梨県に対し明治天皇より山梨県内の御料地の下賜が行はれたことに対する感謝と水害の教訓を後世に伝へるために建設された「謝恩碑」。(趣旨はともかく、デザインは舞鶴城公園の中で異質である。)

江戸時代初期の建築当初の姿で再建された「稲荷櫓」。

「天守台」から南方を眺める。中央やや右寄りに「小江戸甲府花小路」が見える。

「稲荷櫓」の近くから北方を眺める。甲府駅のホームの向かうに「甲州夢小路」と「甲府市歴史公園」が見える。

太宰治は新婚の頃に甲府に住んでゐた。『赤毛のアン』を翻訳した村岡花子は甲府の出身である。2人にゆかりの地を巡る「太宰治の散歩道」「村岡花子の通り道」のパネルが何箇所かにある。

甲府駅に着く直前、列車から見えた大きな寺院に行つてみる。臨済宗の寺院「長禅寺」だつた。甲府五山の筆頭にあげられる名刹で、武田信玄の母・大井夫人の菩提寺である。



甲府駅に戻る途中に「サドヤワイナリー」がある。地下セラーの見学ツアー(試飲付き)は、どの時間も満員だつた。有料のテイスティングはあつたが、胃腸の調子があまり好くなかつたので、諦めて帰途に就く。

甲府市街には、武田城跡の「甲府市歴史公園」「舞鶴城公園」に隣接して、最近「甲州夢小路」「小江戸甲府花小路」といふ新しい観光地が出来た。いづれも古い甲府の町並を再現したもので、古くからそこに残る歴史的建造物ではないが、情緒を感じさせる通りになつてゐる。さらに範囲が拡がり、甲府の歴史・文化を感じさせる施設が増えていけば、より魅力的な場所になるのではないか。



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