2026.03.13
稲田豊史『本を読めなくなった人たち コスパとテキストメディアをめぐる現在形』(中公新書ラクレ)読了。
著者の稲田は、『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)で、若者に顕著な映像作品の倍速視聴といふ習慣から現代社会を論じて話題になつた。本書は、その続編とも言ふべきものである。すなはち、従来の映像作品を味はひ没頭することに喜びを感じる「鑑賞者」に対し、近年の若者はトレンド把握や他者とのコミュニケーションを目的として効率的に視聴したいと考へる「消費者」が増えてゐるが、本に対しても、濃密で深遠な知的体験・知的没頭を求める「読者」に対し、近年の若者は設定した目的を効率的に達成させてくれること…コストパフォーマンス(コスパ)・タイムパフォーマンス(タイパ)…を求める「消費者」が圧倒的多数になつてゐるといふことを述べてゐる。それゆゑ長い文章はAIに要約してもらふため、長い文章が読めなくなつてしまつてゐるといふ。
稲田は、主観的な観察・考察だけではなく、大学生を中心とした16歳から28歳の男女の複数のグループに対してインタビューを行つた。(彼らが通つてゐる学校は、都内の国立大学・私立大学、関東地方の私立大学、地方の国立大学…女子短大・高専などで、入試難易度・専攻学部等にはばらつきをもたせたさうだ。)その他、若者のメディア接触動向に詳しいマーケターやリサーチャー他、複数の出版社やウェブメディアの編集者・営業部員・電子書籍担当、フリーランスのライターにも話を聞いたといふ。
彼らは、本は読まなくなつてきてゐるが、テキスト(文章)に触れてゐないわけではない。その内実を本書から引いてみる。
彼らがもっとも頻繁に触れる種類のテキストは、やはりニュースである。調査で普段から触れているテキストを問うて「本」を挙げなかった学生は半数ほどいたが、「ニュース」を挙げなかった学生はほとんどいなかったからだ。…
では、何で読むか。ほとんどの学生が挙げてきたニュースソースが、LINEもしくはX(旧Twitter)、あるいはその両方である。スマホのLINEアプリにニュースの通知が届くLINE NEWSと、Xのトレンド、あるいはXのタイムライン上のポスト(投稿)からリンクを踏んだ先のニュースサイトだ。
また、どちらかといえば普段から本に触れていない学生を中心としてよく挙がってきたのが、グーグルディスカバー(Google Discover)だ。…
ここには今日のニュースを満遍なく一望するという能動的なアクションが存在しない。紙の新聞で言うところの「さあて、世界情勢は」と紙面をばさっと開くプロセスがない。
かうした状況についての分析の紹介。
ジャーナリストの津田大介は2024年に行われた朝日新聞のインタビューで、インターネットの30年を振り返り、「この10年の大きな変化は、人々が検索をしなくなったこと」「フィルターバブルがより進んで、基本的にサービス側が出してくるレコメンドをそのまま見るようになってしまった」と指摘している。フィルターバブルとは、ネットから受け取る情報が「もともと自分が持っている価値観や意見に近いもの」に染まってしまうことで、自分とは異なる価値観や意見、自分にはない趣味嗜好が見えなくなる現象のことだ。…
情報は点で取る。面では取らない。情報は受動的に取る。能動的には取らない。これは、体系的な知を能動的に解釈しようとするタイプの読書に求められる態度とは、非常に相性が悪いと言える。
しかし、彼らがネットの情報を信用してゐるかと言へば、必ずしもさうではない。
就業支援事業運営会社UZUZによる2024年12月〜2025年2月の調査によると、Z世代のうちテレビを「あまり使っていない」「まったく使っていない」と回答したのは72.9%、新聞に至っては97.3%にも及ぶが、「とても信用している」「信用している」と回答したのはテレビが43.2%、新聞は59.9%。いづれも同YouTube(40.2%)より信用度が高く、新聞に関してはウェブメディア(44.5%)よりも高い。…
つまり、オールドメディアに権威は感じている。ただ、だからといってテレビを観るわけではない。少なくとも自分たちのメディアではないと感じている。
「誰が書いているかなんて、考えたこともない」という発想は、情報元が何であるかを気にする習慣がない、ということだ。ただし「習慣がない」だけであって、「どうでもいい」ということではない。
では、彼らは何をもって、そのテキストが信じるに足ると判断しているのか。
ヤフーニュースには時々怪しい記事が交じっている、ひどいクオリティの記事がある、だから信憑性が低い、という意見は何人かの学生の口から聞かれた。ただ、「怪しい」の基準は曖昧だ。…
「アカウントにフォロワーが多いと、その分ポストにつく『いいね』も多い。『いいね』が多いということは、多くの人が見ているということだから、ちゃんとしてるのかなって思う」
多くの若者がインターネット上の記事を無条件に信じてはゐない。デマや不正確な情報が多いことは常識だらう。ただ、記事の信憑性の判断を、情報元を気にせずに、フォロワーや『いいね』の数に頼るのは危険である。例へば、近年の選挙では、SNSなどインターネットの影響が大きいが、投稿などは組織的なものも多く、『いいね』の数も投票日直前に不自然に増えたりといつた意図的なことが疑はれるものが少なくない。閲覧数や『いいね』の数を稼ぐために、デマを含む過激な内容や生成AIを用ゐたフェイク動画なども多く投稿されてゐる。インターネット上の意見も組織的に(個人の場合もあるだらうが)操作されてゐる危険がある。2026年2月に行はれた衆議院議員選挙でも、東洋大学教授の調査で、偽・誤情報に触れた人の8割が、それを事実だと誤認してゐた。ある事柄についての理解・判断は、多数派の意見が正しいとは限らない。天動説が支配的だつた時代に、ガリレオは地動説を唱へて投獄されたが、誰が正しかつたかは、今日では言ふまでも無い。
また、ブラウザやSNSに現れる情報は、自分の興味・関心に沿つたものが多くなる。1度ある商品について検索すると、その商品及び関連商品の広告が次から次へと現れるやうになることは、誰もが経験してゐるだらう。ニュースなども、自分の関心や意見に沿つたものが多くなる。(上記の〝フィルターバブル〟である。)さうすると、自分の関心・意見が多数派だと錯覚してしまふ。本来、人は、自分とは異なる感じ方や意見に触れることで、視野を拡げ、思考を深めてゆくのだ。
AIにしても、小生が日本文学に関する質問をすると、その回答は以前よりもかなり進化してはゐるが、それでも適切とは言へない記述やデマが時折交じる。また、中国製のAIは、中国政府にとつて都合の悪い質問には答へないといふことがある。しかし、答へないのは、まだマシだらう。中国に限らず、いづれは、それが事実に反してゐても、政府(権力者)にとつて都合の好い答を作り出すやうなプログラムを組み込まれないとは限らないのではないか。
ある情報が正しいかどうかを判断するのに必要なのは、正しい知識を基に論理的・合理的に判断する能力であるが、さうした能力は、能動的に情報を収集・精査して自分の頭で考へることをせず、ネットメディアによつて操作された情報を受動的に受け取るだけでは身に付けられない。インターネット上には世界中のすべての情報があると思ひ込んでゐる者も少なくないらしいが、実際にはそんなことはない。
小生の経験でも、インターネットが普及する以前から、生徒たちがすぐに解答を知らうとする傾向が強くなつてゐた。大学入試問題の解説をする際に、小生は、その解答に至る筋道(選択問題ならなぜそれが正解で他の選択肢はどこが不適なのか)を順序立てて説明しようとするのだが、手つ取り早く答だけを知りたがる生徒が年々増えてゐた。同じ問題が出題されるわけではないので、大事なのは解答に至るプロセス・思考なのだが…。
人間は、元来面倒臭がりで怠惰である。だからこそ、労力を節約するために種々の便利な道具を作り出し、文明が発展してきた。ただ、努力をせずに、自身が向上することはない。イチローも大谷も、才能があつただけではなく、人の何倍も努力をしたからこそ、超一流になることができた。勿論、昔のやうな根性主義ではなく、科学的な練習方法を用ゐて…。大事なのは、労力を節約するべき時と努力するべき時とを知ることだらう。
余談。小生、若者がトレンドを把握するために、映画を早送りで観るといふ話を聞いて、〝見出し人間〟といふ言葉を思ひ出した。作詞家の岡本おさみの造語で、吉田拓郎の名曲「ひらひら」(『よしだたくろう LIVE ’73』所収)に出て来るのだが、新聞や雑誌の見出しだけを見て、世の中のことを解つたつもりになつてゐる薄つぺらな人間のことである。思へば江戸時代にも〝半可通〟といふ言葉があつた。いつの時代も人間は変はらないのかもしれない。〝無知の知〟といふことを肝に銘じるべきだらう。自戒の念を込めて…。


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