菅聡子 編『樋口一葉 小説集』

積ん読解消 読書日記

2026.02.19

 菅聡子 編『樋口一葉 小説集』(ちくま文庫)読了。「大つごもり」「ゆく雲」「うつせみ」「にごりえ」「十三夜」「わかれ道」「たけくらべ」「われから」「闇桜」「やみ夜」収録。資料篇として、同時代評(内田魯庵・田岡嶺雲・高山樗牛・森鷗外・幸田露伴・斎藤緑雨のもの)を付す。
 小生、一葉の代表作数篇は若い頃に岩波文庫で読んだが、細かいことは覚えてゐない。味読できてゐなかつたのだらう。改めて読み直すことにした。岩波文庫や新潮文庫も巻末に注は付いてゐるが、『樋口一葉 小説集』(ちくま文庫)は、豊富な脚注が付いてゐて、読みやすい。(時に図版もあり、明治時代の語彙や風俗にそれほど詳しくない小生にはありがたかつた。)
 収録作品中、優れてゐるのは、やはり「にごりえ」「たけくらべ」だらう。
 「にごりえ」は、本郷区丸山福山町の銘酒屋(表向きは酒屋だが実質は売春宿)「菊の井」の看板の私娼「お力」が、かつての馴染みでお力に入れあげたために落ちぶれて妻子とも別れた源七に刺されて死ぬまでを描いた作品である。
 源七の妻には「白粉つけて美い衣類きて迷ふて来る人を誰れかれなしに丸めるが彼の人達が商売」と言はれるお力だが、七月十六日の夜、客の酒の相手をして端唄を謳ひかけて、発作的に家を出た際のお力の錯乱した心の声を引いてみる。(引用文は、ウェブ上の制約から、振り仮名を省き、2字の繰り返し記号を本来の文字に戻した。)

行かれる物なら此まゝに唐天竺の果までも行つて仕舞たい、あゝ嫌だ嫌だ嫌だ、何うしたなら人の声も聞えない物の音もしない、静かな、静かな、自分の心も何もぼうつとして物思ひのない処へ行かれるのであらう、つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情ない悲しい心細い中に、何時まで私は止められて居るのかしら、これが一生か、一生がこれか、あゝ嫌だ嫌だ…
人情しらず義理しらずか其様な事も思ふまい、思ふたとて何うなる物ぞ、此様な身で此様な業体で、此様な宿世で、何うしたからとて人並みでは無いに相違なければ、人並の事を考へて苦労する丈間違ひであろ、あゝ陰気らしい何だとて此様な処に立つて居るのか、何しに此様な処へ出て来たのか、馬鹿らしい気違じみた、我身ながら分らぬ…

 私娼といふ境遇だけではなく、自分といふ存在自体を嫌悪してゐるかのやうな切実な心の叫びである。この直後、お力は、いつも身の上話を聞きたがる上客で自身が淡い恋心を抱いてゐる結城朝之助に声を掛けられて店に戻り、初めて不遇な身の上を語り、帰らうとする朝之助を引き留めて一夜を過ごす。その後、お力は切羽詰まつた源七とともに死ぬことになるのだが、状況からは無理心中と思はれるものの、この内的独白があるがゆゑに同意の上の情死だつたのではないかといふ疑ひが捨て切れない。
 「たけくらべ」は、吉原遊郭の遊女を姉に持つ勝気な美少女「美登利」と僧侶の息子「信如」との淡い恋や、鳶の頭の子「長吉」を中心とした横町組と金貸しの子「正太郎」を中心とした表町組との対立など、吉原遊郭裏手の町「大音寺前」に住む思春期の少年・少女たちの生活を描いた作品。
 正太郎は、美登利に恋心を抱いてをり、筆やに集まつて〝細螺はじき〟(貝殻を指で弾き当てる遊び)をして遊んでゐた時に、話の流れで「…誰れだつて大人に成らぬ者は無いに、己らの言ふが何故をかしからう、奇麗な嫁さんを貰つて連れて歩くやうに成るのだがなあ、己らは何でも奇麗のが好きだから」と言ふ。その後の筆やの主人の女との遣り取りを引く。

町内で顔の好いのは花屋のお六さんに、水菓子やの喜いさん、夫れよりも、夫れよりもずんと好いはお前の隣に据つてお出なさるのなれど、正太さんはまあ誰にしようと極めてあるえ、お六さんの眼つきか、喜いさんの清元か、まあ何をえ、と問はれて、正太顔を赤くして、何だお六づらや、喜い公、何処が好い者かと釣りらんぷの下を少し居退きて、壁際の方へと尻込みをすれば、それでは美登利さんが好いのであらう、さう極めて御座んすの、と図星をさゝれて、そんな事を知る物か、何だ其様な事、とくるり後を向いて壁の腰ばりを指でたゝきながら、廻れ廻れ水車を小音に唱ひ出す、美登利は衆人の細螺を集めて、さあ最う一度はじめからと、これは顔をも赤らめざりき。

 正太郎の動揺が目に浮かぶが、同時に美登利は正太郎のことを気にも留めてゐないことが判る、正太郎には気の毒な場面でもある。
 一方、美登利は表町組だが、学校は横町組の信如らが多く通ふ私立に通つてをり、信如に淡い恋心を抱いてゐた。しかし、大運動会の時に転んだ信如に美登利がはんけちを取出して介抱したのを友達にからかはれて以来、信如は美登利を避けるやうになつてゐた。さらに、千束神社の祭りの日に、筆やに集つてゐた表町組の子供に横町組が乱暴狼藉を働き、美登利の額際に泥草履を投げつけた長吉が、そこにはゐないものの後ろ盾として信如の名を出したので、美登利は好きだつた学校へも通はなくなつた。それでも、美登利の信如への恋心が感じられる、大黒屋の前で信如の下駄の鼻緒が切れた場面を引く。

 見るに気の毒なるは雨の中の傘なし、途中に鼻緒を踏み切りたるばかりは無し、美登利は障子の中ながら硝子ごしに遠く眺めて、あれ誰れか鼻緒を切つた人がある、母さん切れを遣つても宜う御座んすかと尋ねて、針箱の引出しから友仙ちりめんの切れ端をつかみ出し、庭下駄はくも鈍かしきやうに、馳せ出でゝ椽先の洋傘さすより早く、庭石の上を伝ふて急ぎ足に来たりぬ。
 それと見るより美登利の顔は赤う成りて、何のやうの大事にでも逢ひしやうに、胸の動悸の早くうつを、人の見るかと背後の見られて、恐る恐る門の傍へ寄れば、信如もふつと振返りて、此れも無言に脇を流るゝ冷汗、跣足に成りて逃げ出したき思ひなり。

 その時、通り掛かつた長吉が自分の履いてゐた下駄を信如に貸したため、「思ひの止まる紅入の友仙は可憐しき姿を空しく格子門の外に止めぬ」とあるのは、二人の初恋が実らないことの象徴だらう。これだけなら微笑ましい思春期の話だが、物語には深刻で切ない背景がある。美登利は姉同様、やがては遊女になることが運命づけられてゐる。酉の市の日に髪を嶋田に結つて(少女から娘になつたことを示す)現れた美登利は、着飾つてゐるのにひどく不機嫌で、それ以後表町組の子供たちと遊ぶことも無くなつた。『源氏物語』で光源氏との初夜の後の紫の上を思はせるが、初潮を迎へた(〝水揚げ〟説もあり)美登利は、遊女に成る日が近づいたことを実感せざるをえない。仏教学校に入る前日の朝に恐らく信如が大黒屋の格子門の外よりさし入れた水仙の作り花は、美登利への別れの挨拶であるが、同時に清純な初恋の象徴であり二度と戻らぬ子供の時間への手向けでもあるだらう。
 一葉の作品が魅力的なのは、一葉が住んだ下谷龍泉寺町や丸山福山町で見聞きした近くの遊郭や銘酒屋の女性たちの身の上を基にしながら、世間から蔑まれてゐる彼女たちを見下すのでも讃美するのでもなく、さうした境遇で懸命に生きる彼女たちの姿を共感を持つて描いてゐるゆゑであらう。また、盂蘭盆・藪入り・祭り・酉の市などの行事が、季節の彩りを添へるとともに、物語の内容と重なり、作品に奥行きを与へてゐる。そして、何より文章がすばらしい。自身も和歌を詠み『源氏物語』を初めとする王朝物語や西鶴などから学んだと思はれる優美な雅文と活き活きとした会話文とが見事に融合してゐる。

 ちくま文庫には、この『樋口一葉 小説集』の他に『樋口一葉 日記・書翰集』(関礼子 編)『樋口一葉 和歌集』(今井恵子 編)があり、完全な全集ではないものの主要な作品の大半を読むことができる。

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