2025.06.29
ホテルの部屋の窓から見下ろした富山駅。こちらは北口だが、南口も似たやうな作りになつてゐる。

ホテルの朝食。ビュッフェ形式だが、職人が握る鮨や「昆布巻き蒲鉾」「氷見うどん」などの郷土料理もある。洋食もなかなか充実してゐた。

「富岩水上ライン」の観光船に乗るため、乗場のある「富岩運河環水公園」まで歩く。
駅前には、ガラスの壁にバスケットボールが嵌まつてゐるやうな「アーバンプレイス」や「北陸電力」がある。


「北日本放送本社」の先を左に曲がり、いたち川縁の道を進む。ちなみに「いたち川」は、宮本輝の小説「螢川」(芥川賞受賞作)の舞台になつてゐる。


川縁の道を進むと右手に「富山市総合体育館」があり、その前の「湊入船橋」の欄干には、かはいらしいステンドグラス(江頭いく子作)が埋め込まれてゐる。


さらに進むと「富岩運河環水公園」に至り、「天門橋」が見えてくる。


「天門橋」の先に「富岩水上ライン」の乗降場・チケット売場がある。観光船はいくつかのコースがあるが、富山港「岩瀬」まで行く便にする。

「岩瀬行」の便は、10時10分出発(9時50分から乗船)で、まだ1時間近くあるので、公園界隈を散策する。
乗降場のすぐ近くに「富山県美術館」がある。美術館はまだ開館してゐないが、屋上には入れるので昇つてみた。

屋上は、「オノマトペの屋上」といつて、さまざまなオノマトペ(擬音語・擬態語)から考へられた遊具で遊べる児童遊園になつてゐる。いくつか紹介してみる。
「ひそひそ」は、ラッパ口の付いた細長い金属の管がこんがらがつてゐるが、組になつたもの同士では糸電話のやうに会話ができる。

「ぐるぐる」は、やじろべゑのやうな腕の先の平たい部分に立つて(あるいは座つて)、ぐるぐる廻ることができる。

「うとうと」は、きのこときのこの間にハンモックがぶら下がつてゐる。

美術館屋上から眺める「富岩運河環水公園」。
「富岩運河及び富岩運河環水公園」は、「日本の歴史公園100選」に選ばれ、2006年の第29回都市公園コンクールで「国土交通大臣賞」を受賞したさうだ。

「天門橋」の両端には展望塔がある。下の写真に両展望塔を繋ぐワイヤーが写つてゐるが、以前はこれで糸電話による会話ができたさうだ。(現在は、感染症予防の観点から廃止になつてゐる。)

「天門橋」を渡つた広場の右手に小さな橋があり、運河縁に「STARBUCKS COFFEE」が見える。(この「STARBUCKS COFFEE」は、かつて STARBUCKS の社内コンテスト「ストアデザインアワード」で最優秀賞を受賞し、〝世界一美しいスタバ〟と言はれてゐるらしい。)

広場を左手に進んだ所にも橋があり、その右手に「野外劇場」がある。

「富岩水上ライン」の観光船は、ほぼ満員だつた。
観光ガイドが、「富岩運河」の歴史や左右の景色について説明してくれる。
「神通川」は、富山市の中心部を富山城の北側で蛇行して流れ、しばしば洪水を起こしてゐたさうだ。そこで、直線の放水路を作り、現在の川道になつた。しかし、旧川道が市中心部に残つて市街地を分断してゐて発展の障害になつてゐること、また富山港岩瀬地区から富山市中心部に資材を運ぶ水運の必要から、「富岩運河」を作り、工場を誘致、さらに運河を掘つた土砂で旧川道を埋め立てて市街地を整備したさうだ。
その後、物流が舟運からトラック輸送に変はり、一時は埋め立てて道路にする計画もあつたといふが、市は、運河を活用する方針に転換、「富岩運河環水公園」が整備されて市民の憩ひの場となり、さらに観光船が行き来するやになつた。

運河にはいくつもの橋が架かつてをり、船はその下を潜つてゆく。(下の写真では、橋の欄干にステンドグラスが嵌め込まれてゐる。)運河に沿つて一部に遊歩道もある。


最大の見所が、「中島閘門」。上流側(富岩運河環水公園)と下流側(岩瀬側)の水位差(国内最大級)を調節する「パナマ運河」方式の閘門である。閘室内に船が入ると前後の門扉が閉ぢ、水が排出されて水位がどんどん下がる。(この遊覧船は、下流に向かふので。逆方向の場合は、水位が上がる。)さながら〝水のエレベーター〟である。(下の写真の窓外のコンクリートの色の濃い部分は、船が閘室に入つた時の水面下である。)

運河の両岸(特に神通川との間)には、工場が建ち並んでゐる。

富山港に入り、右手には「展望台」が見える。

港には、貨物船(中国籍のやうだ)が停泊してゐた。

「岩瀬カナル会館」で下船。「岩瀬カナル会館」には、観光物産館やレストラン・カフェの他、情報コーナーやレンタサイクルもある。

「岩瀬」は、江戸時代から北前船の寄港地として発展し、北前船主・廻船問屋の屋敷が多く建ち並ぶ集落だつた。
「松月」は、明治時代創業の老舗料亭。富山湾の沖合で揚がる旬の魚を食することができ、中でも白えびの料理は絶品とのこと。(ただし値段もそれなりのやうだ。)

中心街「大町・新川町通り」には、美しく歴史的にも価値のある家屋がいくつも残つてゐる。
清酒「満寿泉」の蔵元「枡田酒造」。杉玉が風情を感じさせる。
この地域の家に特徴的なのは、瓦屋根に漆喰塗りの外壁と格子窓、さらに通りに面して木の枠に細い竹を横に組み込んだ出格子がある。(「スムシコ(簀虫籠または簾虫籠)」といひ、外から中は見えないが、中から外は見え、風通しも好いらしい。)

「枡田酒造」の他にも、いくつか酒屋や酒蔵がある。


「御休処政太郎」の前には、清涼飲料水と並んで「ホタルイカの沖漬け」や「イカの塩辛」などの海鮮(酒のつまみ)の自動販売機があつた。ちよつとびつくり!

「旧馬塲家住宅」は、江戸後期から活躍した北前船主・廻船問屋の家。(国登録有形文化財に指定。)馬塲家は「岩瀬五大家」の筆頭に挙げられ、北陸の「五大北前船主」の一にも数へられた。見学可。

入口を入ると、「トオリニワ」と呼ばれる土間通路があり、裏庭に出ることができる。
裏庭には、旧米蔵を改装したビア・パブ「KOBO Brew Pub」があり、クラフトビールと軽食を愉しむことができる。店内中央に、ビールの醸造設備がある。


クラフトビール4種の「TASTING SET」と「ソーセージセット」「フライドポテト」「自家製ピクルス」を注文し、昼食にした。

「旧馬塲家住宅」の隣には、やはり北前船主・廻船問屋の「森家」(国指定重要文化財)があるが、昨年の能登地震の影響で耐震補強工事が完了するまで長期休館中。

他にも「佐藤釣具店」・「つりや」(喫茶・物販・宿)・「北日本新聞」など歴史的な建物が建ち並ぶ。



土蔵作りの「食堂天保」の隣に「山本書店」、その向かひに「大村書店」と、2軒の書店があつた。(どちらも今日は店を閉めてゐたが…。)全国的に書店経営は厳しいが、できれば頑張つてほしいものだ。


観光船から見えた「富山港展望台」(金刀比羅社の常夜燈をモデルにしたものださうだ)に昇る。

立山連峰が一望できるが、やはり靄で鮮明には見えず、雲も懸かつてゐる。

富山港の岸には、中古車(多分)が並んでゐる。運河岸にも中古車が並んでゐる所があつた。主としてロシアに輸出するらしいが、現在はウクライナ侵攻に対する経済制裁で輸出が制限されてゐるとのこと。

「富岩水上ライン」は「環水公園発・岩瀬カナル会館着」「岩瀬カナル会館発・環水公園着」ともに市内電車(路面電車)の片道乗車券が付いてゐるので、「岩瀬浜」から「丸の内」まで電車に乗つて市中心街に行く。
「安住橋」から「松川」縁を歩き、「高志の国 文学館」に行く。「安住橋」も、欄干にステンドグラスが嵌め込まれてゐる。立山連峰と太陽をイメージしたものらしい。

「松川」は、市中心部を流れてゐた神通川の旧川道で、一部を埋め立て、整備された水路になつてゐる。両岸には桜並木が続き、遊歩道が整備されてをり、「松川遊覧船」も航行してゐる。

松川には7つの橋が架かつてゐるが、「舟橋」は「神通川船橋跡」に架けられたもので、橋の中央に船の舳先を模した展望スペースがある。(「神通川船橋」は、日本三大船橋の中の最大のもので、最大64艘の船を並べて、その上に板を敷いて橋にしたもの。)



松川縁の遊歩道をしばらく歩くと、右手に広い庭園を備へた「高志の国 文学館」がある。富山県にゆかりの文学者や漫画家などの作品が展示されてゐる。この時の企画展は「アニメ監督×万博プロデューサー 河森正治展」。

市内電車に乗るために市街地に戻るが、来た時と違ふ道を通らうと、川縁の遊歩道ではなく町中の道を歩く。途中、全面がガラス張りのユニークな建物があつた。「富山県総合福祉会館 サンシップとやま」である。上部のガラス壁が一部割れたやうで、布が張られ、側面もシートが張られてゐる。利用も一部制限されてゐるやうだ。岩瀬の「森家」同様、ここにも能登半島地震の被害があつたらしい。〝能登半島〟地震といつても、ここまで影響があるのだと気付かされた。能登半島地震から1年半が経つが、被災地では、まだ多くの家屋が、解体も修繕もできず、手付かずのまま残つてゐるといふ。主な原因は、人手不足と人口減少ださうだ。簡単ではないだらうが、少しでも早く復興することを願つてゐる。

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