日本橋(大阪) 「国立文楽劇場」1日目

街角の本屋までの旅

2024.11.02

 大阪の日本橋に行く。(ちなみに東京は「にほんばし」だが大阪は「につぽんばし」。)「国立文楽劇場」開場40周年記念「11月文楽公演」「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言を観るためである。

 11月2日(土)新幹線で東京から大阪に向かはうとするが、颱風21号接近に伴ふ大雨で山陽新幹線が運行停止、東海道新幹線も各駅に列車が停まつてゐて運転を見合はせてゐるといふ。東京駅で1時間半も待たされた挙句、指定席を取つてゐた新幹線は運休になつてしまふ。仕方がないので、運転再開後の新幹線の自由席に乗るが、当然立ちつぱなし。家を出てから現地に着くまで7時間も掛かつてしまつた。心斎橋の宿泊先に荷物を預けて、「国立文楽劇場」に向かふ。地下鉄堺筋線の「日本橋駅」で改札を出るとすぐに「国立文楽劇場」への案内があり、通路にも何箇所も公演のポスターとともに案内があつて、容易に辿り着けた。ただし颱風のせゐで新幹線が遅れ、本来はかなり時間に余裕があつたはずなのに、上演ギリギリになつてしまつた。大阪日本橋は、西日本最大のポップカルチャーの聖地とのことだが、散策をする時間はまつたく無くなつてしまつた。

 「文楽」は、日本を代表する伝統芸能の一つで、江戸時代に成立した「人形浄瑠璃」の系譜である。「文楽協会」のHPの説明を引用しておく。

人形浄瑠璃文楽は、日本を代表する伝統芸能の一つで、太夫・三味線・人形が一体となった総合芸術です。その成立ちは江戸時代初期にさかのぼり、古くはあやつり芝居、そののち人形浄瑠璃と呼ばれています。竹本義太夫の義太夫節と近松門左衛門の作品により、人形浄瑠璃は大人気を得て全盛期を迎え、竹本座が創設されました。この後豊竹座をはじめいくつかの人形浄瑠璃座が盛衰を繰り返し、幕末、植村文楽軒が大阪ではじめた一座が最も有力で中心的な存在となり、その名を「文楽座」というようになりました。「文楽座」の人形浄瑠璃が、その後も継承され、今の「人形浄瑠璃文楽」として存在することとなります。

 「文楽」では、三味線(太棹)とともに太夫義太夫節を語り、それに合はせて人形遣ひが人形を操る。人形一体を三人が操り、微妙な動きや心情までも表現する。(中心となる主遣ひが頭と右手、左遣ひが左手、足遣ひが両足を操る。)
 文楽や歌舞伎の演目は、実際にはかなり長く、例へば「仮名手本忠臣蔵」は全十一段の構成だが、全段通しでは上演時間は10時間以上になつてしまふ。そこで、普段はその一部の(人気のある)数段だけが上演される。今回は、「国立文楽劇場」の開場40周年記念で「仮名手本忠臣蔵」を通しで(何回かに分けてだが)上演するのである。今日は、その初日。
 第一部(昼)が「大序」「二段目」「三段目」「四段目」第二部(夜)が「五段目」「六段目」「七段目」(それと別の演目だが「靭猿」)である。「八段目」以降は後日になる。

 「忠臣蔵」は御存じのやうに、江戸時代の「赤穂事件」に材を取つた物語である。「赤穂事件」は、元禄期に発生した事件で、吉良上野介を討ち損じて切腹に処せられた浅野内匠頭の代はりに、その家臣である大石内蔵助以下47人が吉良を討つたものである。小説や映画にもなつてをり、それらの多くは史実通りの時代・人物になつてゐるが、人形浄瑠璃で演じられる「仮名手本忠臣蔵」(竹田出雲他作)は、幕府を憚つて舞台を室町時代に移し、登場人物を他の歴史上の人物に仮託してゐる。ちなみに「仮名手本」は「赤穂四十七士」を「いろは四十七文字」になぞらへたもの。劇場には「仮名手本忠臣蔵」の登場人物を描いた額(芝居絵)も飾られてゐた。

 本来なら、第一部の「大序」から物語の順に従つて観たいところだが、移動・宿泊の都合で第二部の「五段目」「六段目」「七段目」を今日先に観る。
 今日の見所の一つは、「六段目」の「早野勘平腹切の段」。(勘平は、主君塩谷判官の大事の場に居合はせなかつたことを悔やみ、自害しようとするが、恋人おかるに諌められ、主君の仇討に加はりたいと願ひながら、おかるの実家に身を寄せてゐる。)勘平は、舅を殺して五十両を奪つた斧定九郎を猪と間違へて鉄砲で撃ち殺したのだが、舅を撃つたと思ひ込み、同じやうに誤解した姑や塩谷家の家臣に責められ、切腹する。今回勘平の人形を遣ふのは、人間国宝(重要無形文化財保持者)桐竹勘十郎だが、彼が操る人形は魂を吹き込まれたやうに生き生きと動き、その無念の思ひを痛切に感じさせる。
 もう一つの見所は、「七段目」の「祇園一力茶屋の段」。大星由良助(史実では大石内蔵助)が敵の目を欺くため、京の祇園の遊郭で遊び呆けてゐるといふ「忠臣蔵」の物語ではお馴染みの場面。勘平の女房おかるは遊女となつてこの茶屋にをり、大星由良助の物語と勘平・おかるの物語がこの段で繋がる。この段では、一人の太夫がすべての人物を語り分けるのではなく、一人一役の掛け合ひで上演され、肩衣も役に相応しい柄を用ゐる。また、寺岡平右衛門役の太夫は、舞台上手の出語り床ではなく、舞台下手に仮設の床が置かれ、そこで無本で語る。大星由良助の人形遣ひは、人間国宝の吉田玉男

 ところで同じ演目を文楽でも歌舞伎でも上演するものが多い。この「仮名手本忠臣蔵」も、元は人形浄瑠璃の脚本だつたが、歌舞伎でも上演される。
 小生は、文楽や歌舞伎をここ何年か年に数回観るやうになつた程度の、鑑賞者としては初心者である。そんな小生の個人的な感想だが、歌舞伎は役者の色が濃く、確かに片岡仁左衛門や坂東玉三郎といつた名優が演じると胸に迫るものがあるが、一般には、文楽の方が人形が演じる分、抽象化されてゐて物語に没入できるやうな気がする。

 公演が終はり、心斎橋のホテルに戻る。雨は上がつてゐた。心斎橋筋は、外国人観光客も含め多くの人で賑はつてゐた。

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