関根慶子 訳注『寝覚(中) 全訳注』

積ん読解消 読書日記

2025.12.14

 関根慶子 訳注『寝覚(中) 全訳注』(講談社学術文庫)読了
 『寝覚』は、平安時代後期に成立した王朝物語で、『夜の寝覚』『夜半の寝覚』などとも呼ばれる。伝本は五巻本と三巻本系統に分かれるが、いづれも中間と末尾に大きな欠脱があるが、その内容は、古筆切や改作本『夜寝覚物語』・『寝覚物語絵巻』・『無名草子』などの史料から推測作業がなされてゐる。本書は、底本の三巻本「前田家尊経閣文庫蔵本」に従つて上中下の3冊としてをり、上巻と中巻の間に物語の時間で約8年分の欠脱(中間欠巻部)があるが、その概要は、本書の冒頭で解説されてゐる。

 上巻の内容は、「積ん読解消 読書日記」8月8日付の投稿「関根慶子 訳注『寝覚(上) 全訳注』」を参照されたし。(https://seiyu-udoku.jp/関根慶子-訳注『寝覚(上)』/
 まづ「中間欠巻部」の内容について、本書の冒頭「上巻・中巻間の欠巻部分の概要」を元にまとめておく。(上巻で「中の君」と呼ばれてゐた女主人公は、老関白との結婚により「上」あるいは「北の方」などと呼ばれるやうになるが、混乱を避けるために「寝覚の上」で通すことにする。)
 「寝覚の上」の美しさを聞いて、「大納言」(男主人公)の叔父・左大将は後妻にと熱心に求婚してきた。宮の中将は寝覚の上の弾く琵琶の音を聞き心惹かれる。宮の中将から話を聞いたも寝覚の上の入内を強く望む。しかし父・太政大臣は寝覚の上の婿に親子ほどの年齢差がある左大将を選んだ。そのことを知つた大納言は、寝覚の上のもとに忍び込んで逢瀬を重ね、寝覚の上は再び身籠る。しかし左大将は、事実を知りながらも寝覚の上と生まれた男の子を愛し、寝覚の上も次第に夫の広い愛を感じて打ち解けてゆく。大納言の父・関白は左大将に関白を譲つて病没し、大納言は左大将に昇進して朱雀院の女一宮と結婚する。左大将の北の方・大君(寝覚の上の姉)は悲嘆のあまり女子を出産後に亡くなる。やがて老関白は死去したが、その間に左大将(もとの大納言)は内大臣に昇進した。寝覚の上は、亡夫を偲び、遺された三人の娘の世話に専念する。内大臣の他、帝や宮の宰相の中将が寝覚の上に再び恋心を燃やし、宰相の中将は寝覚の上と間違へて老関白の次女を盗み出してしまふ。帝は寝覚の上を内侍の督に所望したが、寝覚の上は辞退し代はりに故関白の長女を薦め、帝も受け入れた。(「内侍の督(尚侍)」は、帝の側近く仕へる内侍司の長官だが、帝の妃となることも多い。)一方、女一宮の母・大皇の宮は、内大臣から寝覚の上を遠ざけようとして、帝への入内に熱心だつたが、それが成就しないと、自分の夫・朱雀院のもとに上がることを勧めたりした。
 さて、中巻(本書)では、寝覚の上は、老関白の長女が内侍の督となつたのに付き添つて参内すると、大皇の宮の策略により帝に迫られる。からうじて拒み通した寝覚の上は、宮中から退出を願ふが、帝はなかなか許さない。大皇の宮は、寝覚めの上が帝と情を交はしたとあらぬ噂を流す。寝覚の上は、この危機で改めて内大臣への思慕を自覚、忍んできた内大臣と再び逢瀬をもつ。やうやく退出した寝覚の上のもとを、内大臣は頻繁に訪れる。寝覚の上は、帝や大皇の宮への配慮から、また世間を憚つて、内大臣との浮き名が流れることを恐れるが、内大臣は冷静に行動できない。やがて内大臣の正妻・女一宮が病床に臥すが、大皇の宮の謀により寝覚の上の生霊が現れたとの噂が立ち、寝覚の上は懊悩する。

 上巻を読んでから時間が経ち、小生が上巻の内容を忘れてゐるせゐもあるが、正直、ちと読みにくかつた。(中にはすんなり読める部分もあるが…。)主語は、示されないことが多く、途中で変はることもあり、しかもそれが唐突な場合もあつた。さらに、8年間の間に登場人物の置かれた状況も変化し、呼び名も変はつてしまつてゐることが少なくない上に、欠脱部分を踏まへた叙述も頻出する。
 やはり注釈書の存在はありがたい。研究者が、諸本を校合して本文を制定し、語釈を載せ、解釈(現代語訳)を示してくれてゐるお蔭で、我々は古典を享受することができる。まあ、時に現代語訳がこなれてゐないと思ふこともあるけれど…。
 中巻は、内容的には上巻や中間欠巻部ほどのストーリー上の展開は無く、心理小説的傾向が強まつてゐる。上巻では、状況に流されて泣いてばかりで、自分の意志といふものが感じられなかつた女君が、自己を主張し、理不尽な状況に懊悩・葛藤する複雑な心理を示すやうになつた。
 一例として、やや長くなるが、内大臣の妻・女一宮の病臥に際し大皇の宮が流した、寝覚の上の生霊が現れたといふあらぬ噂を耳にした時の寝覚の上の〝心中語〟を引く。(現代語訳は、関根の訳を小生がちと手直しした。)

「昔より今にとり集めて、なれるわが身と言ひ顔にあれど、もとより心のいとおろかに浅うなりにければ、よく思ひもいれで、千々のうきふしをあまり思ひすぐし来て、言ひしらずうとましう音聞きゆゆしき耳をさへ聞きそふるかな」…
「げに、人がらのなべてならず目やすきとばかり見知りしに、こよなうさだすぎ給へりし世のつねの人ざまにひきうつされ、わが身をはづかしう悲しう思ひいりし程に、うきを知りはじめしばかりにこそ、折々絶えぬあはれをば見知り顔なりしかど、今となりては、うちとけ頼み聞ゆべきものとは思ひだによらぬことにて、まことにいみじうつらからんふしにも、身をこそ恨みめ、人をつらしと思ひあくがるる魂は、心のほかの心と言ふとも、あべいことにもあらぬものを。人のうへ、よき事をば、さももてはやさず、きえぬめり。よからぬこととだに言へば、言ひあつかふものなめるを、いかにいみじう聞きつたへ、世にも言ふらん」…
「げにおとどもさしあたりたる御ここちを見奉りあつかひ給ふらん御心づくしは、つきづきしう名のり言ふらんを、『げにさりげなくて、さもやあらんな。うとまし』とも、聞き思ひ給ふらんかし」…
「いで、あな、心うの心や。この月ごろ、我ながらも、『かならずつらきふし多く便なきこともいできなんものを』と思ひはなれ、『あきはてこもりゐなむ』と思ひよりしものを。うちの上の御事の、せん方なくわびしう、思ひまどはれしままに、かの人の御影につきて、さそはれいでなんとせしほどに、心弱くみだれたちて、今までながらへて、かかることを聞くが、我ながら思ひとるかた強からず、口惜しうものはかなき心のおこたりなり」

【現代語訳】
「昔から今に至るまでのことを思ふと、『何のためなれるわが身……』といふ古歌のやうな嘆くばかりの身の上だが、もともと私は心も粗雑で考へが浅く育つてしまつたので、よく考へもしないで、多くのつらく悲しいことをあまりにもそのままに過ごしてきて、言ひやうもなく厭はしく、耳にするのも不吉な噂まで次々と聞くことよ。」…
「本当に、内大臣の人柄が並一通りでなく好ましい人だと判つてきた頃に、それに比べてひどくお年を召された平凡な方に縁付けられ、我が身を恥づかしく悲しく思ひつめた時に、恋のつらさを知り始めたばかりに、折々内大臣からの絶えぬ愛情を承知したものとしてお返事もしたのだが、今となつては、内大臣に打ち解けおすがりしてよいものとは思つてさへもみないことで、本当にひどく耐へがたいと思ふやうな時にも、我が身の拙さをこそ恨んでも、他人をひどいなどと思つて魂がさまよひ出るなどといふことは、自分には意識できない心があるとしても、あらうはずも無いことなのに…。世間といふものは、人の上について、良いことは、それほどもてはやさず、そのまま消えてしまふやうだ。一方よくないこととさへいへば、盛んに言ひ立てるもののやうだが、今度のことは、どんなにひどく聞き伝へ、世間でも言ひふらすことだらう」…
「確かに内大臣も目の当たりに宮の御病気を拝見して看病し気を揉んでいらつしやる時は、物の怪がいかにも私の生霊らしく名告つて恨み言を言ふだらうが、それを『本当に、うはべは何気なくよそほひながら、さう思つてゐるのだらうな。不愉快だ』とも、聞き思つていらつしやることだらうよ」…
「まあ、なんと情けない私の心だこと。この数箇月、我ながらも、『内大臣になびいたなら、かならずつらい事が多く不都合なことも起きるだらう』と思つて遠ざかり、『すつかり思ひ捨てて引き籠つてしまはう』と思つてゐたのに……。帝の御事が、どうしようもなくつらく、途方に暮れてしまつたものだから、あのお方の蔭に隠れて、誘はれ出ようとした時に、心弱く決心も乱れてしまつて、今まで世にながらへて、こんな思ひもかけない噂を聞くのが、我ながら覚悟が強くなく、残念にも頼りない私の心の至らなさなのだ…」

 『源氏物語』といふ偉大な手本があるとはいへ、自己を凝視する女君の複雑な心理がよく描かれてゐる。

コメント